OUTSIDE IN TOKYO
LOU YE INTERVIEW

ロウ・イエ『スプリング・フィーバー』インタヴュー

4. まず着地点を決めない、目的を決めてしまわないで、
  ストーリーが発展していく流れの中で人物を動かしていく

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OIT:脚本家のメイ・フォンとはどのような話をしたのですか?
LY:そうですね、今のように、こういう感じで話をしていきました。多くは今のようなお話しとか、1930年代の色々な作家の話、あとは他の映画の話とかもしました。まず着地点を決めない、目的を決めてしまわないで、ストーリーが発展していく流れの中で人物をどう動かしていくかということ、そういう風にして最終的な脚本を決めていきました。

OIT:その物語がある中で、監督の映像的なこだわりというのは、その中でどうバランスをとっていこうとされたのでしょう?
LY:それは複雑です。脚本を書き終えてからもメイ・フォンと一緒にずっと修正を加えていったわけです。俳優のキャスティングが終了してからも、映像的な観点からもずっと微調整を続けていきながら、これで決まりということはなく、ずっと変更、変更していって、動きながら脚本をつないでいったわけです。

OIT:また大きな質問で複雑になるかもしれませんが、映像的な美しさの拠り所は、基準はどこにあるのですか?
LY:やはりそれは映画の一本一本で違ってくると思います。どういう映画なのかということで違ってきます。例えば、『天安門、恋人たち』ですと、話が1980年代の時代背景でした。その時代80年代というのは35mmフィルムの最も盛んだった時代なわけですから、これは35mmのコダックで撮ったわけです。そして、この『スプリング・フィーバー』の場合は、今の現代の話です。今や携帯電話とインターネットの社会ですから、みんなはそれを通して映像を観るわけですよね。ですから、映像の基準というものを私がこういう風に変わってほしいとか、自分がどうこうということではなく、世界全体がその映像に求める基準というものが自ずと違ってきていると思います。この『スプリング・フィーバー』は初めてデジタルビデオで撮った作品なのですが、どういう機材を使うかについては色々とみんなで話し合いをしました。16mmにするか、最新のREDという機材にするか、あるいはもっと最小の小型のものを使うかということを話し合ったのですが、使った機材に決定したのは、デジタルビデオでフィルムの作品の模倣をしようというわけではなく、デジタルでしか出せないものを出そうということになったわけです。それを基準にして考えました。色々なホームビデオを見に行ったのですが、ホームビデオというのは確かに質からいうとかなりプロが使うものより落ちるわけですが、それでもすごく感動的なものを撮ることができる。それは生活感がすごく出るということ、実際の生活とすごく距離が近いということです。例えば、母と子が海辺で遊んでいるその様子を収めたホームビデオというのは、質がどうこうというよりは人を感激させるその情感がそこに入っているということ、ですから、映画を撮るという原始的な動機がそこに見いだせるわけです。35mmのフィルムで大きな撮影チームをくんでやる撮影隊には真似の出来ないような感動的なものがそこにあったわけです。もっとも、すごく危険な賭けだったかもしれません、ホームビデオで撮るっていうのは。でもそのホームビデオに特にレンズをあつらえてくっつけるとか、そういうこと一切しないでホームビデオのレンズのままで撮った。あまりにもそれは危険だったかもしれない(笑)、たまたま上手くいったから良かったようなものの。



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