OUTSIDE IN TOKYO
MIYAKE SHO INTERVIEW

三宅唱『Playback』インタヴュー

3. 企画書のタイトルに“俳優”と書いて、
 俳優って何だろうと考えるところから始めた

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OIT:リハーサルはしたんですか?
三宅唱:一回もやってないですね。

OIT:役者さんには台本を事前に渡しますよね?
三宅唱:はい。お会いしたときは、撮影を水戸でやる理由について説明させてもらいました。まだ震災から3ヶ月のときになぜ東京より北にいくのか、そういう話です。政府からもまともな情報がまったくないなかで、なぜ、という。

OIT:水戸でやることは震災が起きる前に決めてたっていうことですか?
三宅唱:いや、震災が起きてからですね。シナリオは震災前から、主人公が故郷に帰る、その故郷はかつて大きな地震が起きた町である、という話でした。

OIT:じゃあ3.11の大地震が起きる前からそういう風景のところでやろうと思ってた、そうしたら起きちゃったってこと?
三宅唱:そうです。

OIT:それはびっくりだな。
三宅唱:3月11日はシナリオの最終稿を提出する予定の日でした。揺れのあとすぐに、水戸出身の友達から「いま新宿にいて、ちょうど帰省しようと思ったけど、帰れなくなったから泊めてくれ」と連絡があって。

OIT:映画には、それが分かるような画をばんばん入れるんじゃなくて、道路が亀裂してるぐらいで、慎ましく入ってますよね?あんまりあからさまにはそれを出してない。
三宅唱:たとえば、お墓はほぼ全部倒れていましたが、撮影していません。そういったものを撮る/撮らないという話は四宮さんと相談して、最終的にあの道だけは撮ろう、というスタンスになっていきました。



OIT:『Playback』の撮影期間は?
三宅唱:12日です。

OIT:じゃあ『やくたたず』より更にハードなスケジュールですね。
三宅唱:基本的にはわりと健康的な現場で……というとスタッフに怒られるな(笑)。実際、かなりタイトなスケジュールではありましたが、僕にとっては、はじめてああいうキャリアのある俳優たちとの共同作業で、ほんとに楽しくもあり、めちゃめちゃハードでもあり。

OIT:今回、クローズアップで決まってるショットが沢山あって、もちろん俳優さん達も良いんですけど、フレームはどういう風に決めていったんですか?
三宅唱:段取りが終わったあとに、四宮さんにカット割とポジションをまずは僕から伝えます。そこから先は四宮さんの仕事で、ぼくはモニターをテストだけ確認して、あとは任せています。

OIT:顔を撮りたいっていうのは何かきっかけがあったんですか?
三宅唱:『やくたたず』のあと、これはある意味で挫折を経験するために撮ったんだな、と思っていました。それはつまり、自分のやりたいことはものの見事に映らないし、現場でどんどん優先度が落ちていってしまう、と。情けない話でもあるんですが、でも、キャメラがあって、土地と人物がいればそれは確実に映る、このことについてちゃんと考えよう、と思ったんですね。次は最初からそれを信じることについて映画を撮ろう、じゃあ人を撮るなら顔かな、顔といえば骨格かな、皺かな、と考えていきました。

OIT:顔が印象的だっていうのに加えて、『やくたたず』が空間の映画だとしたら、今回はそれに“時間”が加わっていてレイヤーが増えたなと、そういうストーリーにしようとしたのはなぜでしょう?
三宅唱:企画書のタイトルに“俳優”と書いて、俳優って何だろうと考えるところから始めました。俳優は同じことを何度も繰り返す、とか、一本の映画の中で何度も死ぬ演技をする、とか、とにかくなんて変わった人たちなんだろう、と。ここに俳優そのものの秘密、あるいは映画そのもの、映画をみることそのものの秘密があるんじゃないだろうか、ということが発想のベースにありました。そういった映画がアメリカ映画を中心にいくつかあるなっていうヒントを得たので、いろいろ観ました。


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