OUTSIDE IN TOKYO
Mohamed Al-Daradji INTERVIEW

モハメド・アルダラジー『バビロンの陽光』インタヴュー

3. 私にとってバビロンは一つになることの象徴です

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OIT:映画を見て、震災の影響に苦しむ人たちもあなたの映画に共感できるのかもしれないとは思いました。
MD:そうですね。それについてはどう言っていいか分からないのですが、例えば、私がボスニアの映画について聞いたとします。それが大量虐殺だとします。私の中で2つの葛藤があるでしょう。見に行くこと、もしくは見に行かないこと。見に行くとすれば、他の人たちがどう感じ、虐殺や行方不明者についてどう対処していくかを知りたいと思うからでしょう。見に行かないとするなら、感情的になりすぎることが怖いからです。我々の職業では、人が問題に対処できるよう、支えてあげることができるのだと思います。直接的でなくてもよくて、間接的に示唆するだけでもいいのです。セルビアで、ある若者が私の下へ来ました。セルビアとボスニアが紛争状態にあったことは知っていますね。彼は22歳で、上映の後、私の前に来て、とてもブロークンな英語で、「俺はあんたが大嫌いだ。でも好きだ」と言いました。一体何が始まるのかとびびりました(笑)。「俺があんたを嫌いなのは、2年前に死んだ祖母のことを思い出させたからだ。俺は彼女が死んだ時、ちっとも泣かなかった。でも俺があんたを好きなのは、そんな俺を泣かせてくれたからだ。俺は祖母のために、また同じように行方不明となった叔父のために泣いた」と。そういう意味では日本の人々にも共感してもらえるかもしれません。感じて、共有できるかもしれない。アラビア語のことわざがあります。「他人の問題を目にすれば、自分の問題もより理解できるかもしれない。人がどう感じるか共感できるから」と。他人が問題対処の支えになる可能性もあるのです。シャーザードにしてもそうです。映画が彼女にとっていい作用を及ぼさないことを恐れていました。でも実際、この映画は彼女のセラピーとなり、助けとなったようです。彼女は自分の体験や苦しみについて我々に話し、いろんなことを聞かせてくれました。実は今日、この映画がリベロンで上映されることになりました。政治家や行方不明者のいる家族のために上映されます。虐殺や戦争で家族が行方不明となっている母親が(そこだけで)2万人います。その問題について話し合うために、この映画が選ばれたのです。でも(正直)日本でどう受け入れるかは分からないですね。

OIT:ガス抜きにはなる可能性はあるかもしれませんね。
MD:確かに何かを解放するきっかけにはなるかもしれません。『キリング・フィールド』という映画がありますよね。カンボジアについての映画です。その映画を見た時、まあ、私が好きなタイプの映画ではないのですが、男が墓地の中を歩くシーンを見て、私は赤ん坊のように泣いてしまいました。怒りやそういった感情が溢れ出てきたのです。なので、私自身がその問題に対処する助けとなってくれました。だから誰かのためになる可能性はあるのかもしれません。

OIT:バビロンという存在ですが、あなた自身はどのような距離感で見ているのですか?あなた、イラク人、クルド人にとって。
MD:個人的に、それとも映画としてですか?

OIT:個人的に。
MD:子供の頃、私たちはバビロンというイメージに触れながら大きくなりました。バビロンとは何だろう?映画の中でアーメッドもそう言います。バビロンの庭園とか。バビロンは謎です。未知です。歴史に関わる存在でありながら、未来のものでもある。様々なグループや言語の人たちが集まることのできる場所なのだろうか。生についてのビジョンを共有できる気もします。バビロンはイラクを一つにできる存在なのかもしれません。考えてみれば、(映画の)彼らはクルド人です。ただクルド人がこの映画を見た時、バビロンはクルド人のものだという解釈になってしまうかもしれません。でも同時に、少年はアラビア語が話せます。そしてムサと友だちになります。だから私にとってバビロンは一つになることの象徴です。イラクだけでもなければ、キリスト教だけでもユダヤ教だけでもありません。人として。バビロンが文明の地と呼ばれた時代、多くのリーダーが、アレクサンダー大王も、バビロンに近づき、その土地を統治したいと願ったのです。だから私にとってバビロンは、みんなが一つになれる場所であってほしいと思います。イラク人のためだけでなく。強いて言えばエルサレムのような存在と同じです。エルサレムがユダヤ人やキリスト教徒やムスリムのものだと決めつけるのはバカげています。エルサレムは全ての人のものであるべきです。宗教が混ざっていいという前提なら、中国人や日本人のものだっていいはずです。インターナショナルなコミュニティの一部として。既に全ての歴史の一部なのだから。我々が同じルーツから来て、現在の私たちに発展してきたのなら、我々は人類として似ていると考えるのがふつうですよね。千年前に亡くなった宗教的なリーダーの遺した言葉があります。とても美しいことを言いました。「もしイスラムという宗教において兄弟ではなくても、人は人類という意味で兄弟である」だからバビロンは、理解と、一つになることの象徴であるべきだと思います。それが私の個人的な考えで、それを守りたいと思います。アーメッドがムサに聞き、ムサは説明します。映画の終わりに彼が尋ねると、ファティマというイスラム女性が答えるシーンがあります。私はそうして重層的に理解してもらうために組み立てました。

OIT:つまり、その場所の曖昧さが謎めいたイメージに貢献するわけですね。
MD:その通りですね。

OIT:その会話から感じられるのはやはり希望ですか?
MD:(笑)あなたはこの映画の最後をどう見ましたか?映画の最後で、アーメッドは、個人的にどういう状況だと思いましたか?あなたはアーメッドの人生に希望を感じましたか?

OIT:僕はまだ彼がその間を揺れ動き、どちらの場所にもいるように感じました。
MD:はい。


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