OUTSIDE IN TOKYO
Mohamed Al-Daradji INTERVIEW

モハメド・アルダラジー『バビロンの陽光』インタヴュー

4. アンダースコアは映画を支えてくれるものだと信じます

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OIT:どちらへ進む可能性もある場所に立っているように感じました。
MD:いいでしょう(笑)。私個人は、観客の一人一人の解釈に委ねることにしました。個人として、そこからどう発展させていくかを。私にはそこがとても大事な点です。なぜなら、私は簡単な道を観客に提示して、答えを噛み砕き、居眠りしてもいいような状況にはしたくないのです。映画のことを忘れてほしくない。私はこの映画を作るために苦しんできました(笑)。私の人生の5年を費やしたのです。私がこれで潤うわけでもありません。だからこそ観客には、私と一緒に映画の中に入り、考え、自分なりの印象を導き出してほしいと思うのです。私も様々な観客と話しました。ある人たちは、少年が混沌の中で道を見失っているようだと言いました。他の観客は、どちらでもない状態だと言いました。他の人は、彼は希望に溢れていると言いました。私はそういう状況をうれしく思います。まあ、個人的には、希望に溢れていると思いたいです。イラクでは日常が、混沌であり、どっちつかずですから。ある日、イラクに降り立つと、一体何が起きているんだ、と思いました。怒りを覚えました。腐敗もあり、安全とは言えません。でも別の日には幸福感も感じます。アーメッドに希望を感じるのは、彼が涙を拭うからです。彼は笛を吹いて遊びます。祖母のことを振り返ることなく、先にあるバビロンを見据えます。車が行き交う中、象徴的に、希望、もしくは意図が与えられていると思います。彼にうまく笛を吹かせて、観客にきちんと笛の音を聴かせることもできたでしょう。でも彼の吹く笛を聴かせることが目的ではないのです。観客に、彼がどんな曲を吹くのかを想像させることが大事です。そこに、私が新しい世代に抱く希望が象徴されていると思います。観客に少しヒントを残したつもりです。ムサがさよならと言う前に言います。「アーメッド、もし何か必要ならばモスクに来なさい。シェイクに聞けば、私の居場所を知っているでしょうから」と。少年は分かったと言います。でももう一つの可能性として、彼がファティマというクルド語を話さない、アラブ人の母親のような人と一緒に行く可能性もあります。それはイラク人やいろんな人々への希望を表している気がします。

OIT:この映画を、普遍的な体験とするためには、ある意味、撮影する側の背景を考えてみても、クォリティーの高い映像が不可欠だと思いますが、そういう映像的な普遍性を体現する映画作家で、どのような人に傾倒してきましたか?
MD:登場人物たちを感じ取り、感じることが大事です。台詞がない状態で。台詞が悪いわけではなく、好きなだけ台詞を入れていいと思います。私は自分の映画を、いつも音響を抜いた状態でテストしています。最初から最後まで見て、それでも自分に何かを与えてくれるかどうかを見ます。人々を美しく撮ることが撮影の基本にあると思うのですが、ただふつうの美しさの話をしているわけではありません。美しい写真を撮ることもできます。でもそこに感情を読み込む余地がなければ美しくてもしょうがないでしょう。そうした美しい画を、観客として影響を与えるように編集するわけです。音楽をかぶせることは、その画をどう感情的に支えるかを基準に入れるわけです。映像が音楽を支えるのでなく。オーバースコアという言い方があるけど、私が好むのはアンダースコアです。『バビロンの陽光』にはほとんど音楽がありません。本当ならば、全く音楽を使いたくなかったくらいです。それが私の希望でした。でも必要に駆られた部分では入れました。だから次の映画は全く音楽が入らない予定です。アンダースコアは映画を支えてくれるものだと信じます。美しい写真の連続を支えるわけで、オペラやミュージカルを作りたいわけではないのです。映画に音楽を使うことを反対しているわけでもありません。音楽にあわせて映画を追っていくのでなく、観客が映画を追うのにあわせて音楽がついてくるのはいいと思います。例えば、アッバス・キアロスタミの映画があります。『桜桃の味』『クローズ・アップ』などがそうです。エジプトの監督のユーセフ・シャヒーンの映画も、エミール・クストリッツァの映画もそうです。アメリカ映画のような典型的な語り方ではない映画です。アメリカ映画が嫌いなわけではありません。ただ最近の映画にあまり影響を受けるものがありません。ただ、私は『ゴッドファザー』を見て育ちました。画的にも撮影的にも魅力的だと思います。どこまで観客に向けて撮影レベルを上げられるかを見せてくれます。そしてそれを各々が持ち帰ることもできるのです。

OIT:次の映画に少し触れましたね。
MD:今までで一番むずかしい映画です。本当にむずかしい。できることなら、また『バビロンの陽光』のような映画を作りたいと思ってしまうほど。ロケーションも一つの場所ですし、とてもむずかしい……。

OIT:予算も多いんですよね。
MD:違ったストーリーの語り方です。ロケ地も一つなので、その制限の中でどう物語を語るかを考えなければなりません。ボイスオーバーもフラッシュバックも使うことなく。そのロケ場所から出ないようにしなければいけないですし、とにかく大変です。とても大きな挑戦です。

OIT:また希望を表すものですか?
MD:(笑)はい、そうですね。まあ、分からないですよ。実は、自爆テロを行う人間が何千人を殺してしまう中で起きる物語なので、どこまでが希望と言えるのかはまだ今の時点では言えません!映画を見てください。でも希望はあります。それはあくまで私の解釈する希望ですが。小踊りするような希望ではありませんが、私の言う希望とは、私たちがそこから何かを学びとることができるという意味です。苦しみや犯罪を理解すること。そこから何かを学びとることに希望を見出せるのだと思います。


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