OUTSIDE IN TOKYO
Nikolaus Geyrhalter INTERVIEW

ニコラス・ゲイハルター『眠れぬ夜の仕事図鑑』オフィシャル・インタビュー

4. 誰もが少しずつ気づいているように、弓はもうきちきちに張られていて、
 もうそれ以上は無理というところに来ている

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Q:国境やロンドンの街頭における監視カメラなどの「すべてを見る」ことと、オクトーバーフェストで群衆が娯楽に興じて麻痺状態に陥っている「何も見ない」こととを、きわめて対照的に描いていますね。社会は、あえて見ないようにすることで、実際に起きていることを認めようとしません。
NG:そこもまた、観客に判断を委ねようとした部分です。ドキュメンタリー映画の使命とは、人が無意識のうちに見ないようにしていることに目を向けることだと考えています。 どうしたら解決できるのかは私にもわかりません。ですが、人が否定しようのない真実を示したいと思っています。この映画は、社会制度や観客にその責任を問うものではありません。もし何らかの審判が下(くだ)るとすれば、それは観客の頭の中で起きているんです。

Q:核廃棄物輸送のシーンは、社会の中で真の摩擦が起きる場面というのはもはや存在せず、抵抗運動ですら、デモの参加者と警察の間での儀式として社会の中で形骸化していることを問題にしているのでしょうか?
NG:私はまったくその通りに感じました。最初から結果がわかっている、壮大な演出なんです。輸送は遂行される。国民は少し抵抗運動をしたように振る舞うことができるけれど、このデモの目的が達成されることはありません。権力のさじ加減が働いていて、デモ行進は可能だけれど、それで変化が喚起されるわけではない。反対に、アラブ圏で行われている民主主義をめぐるデモをみると、背後にまったく違うパワーが感じられます。私は、ヨーロッパが活力を、精気を失ってしまったという印象を持たざるを得ません。調査している間、ヨーロッパのエネルギーはどこからくるのだろうか、という疑問がずっと根本にありました。

Q:余暇の気晴らしを取り上げた2つのエピソードにも、それは非常に強く現れていますね。群衆が娯楽に興じて麻痺状態に陥っている、オクトーバーフェストとテクノパーティのシーンのことですが。
NG:そのとおり。もうエネルギーはないですよね。よく思うことなんですが、私も含めてヨーロッパ人はもうお腹いっぱいで満足してしまっていて、そのために、強烈な意思とか必要性とかがもうないんじゃないか。その結果、エネルギーは現状が維持されていることを確認するためにしか使われなくなる。たとえば国境を閉鎖してその後はもう何も考えない。戦争の後、私たちはすべてを復興することに成功し、今はただ豊かな生活を享受したい、それが一般的なスタンスです。民主主義や環境保護のために、どうしても闘わなければならないという必要性が十分に感じられないので、闘うことはない。両親の世代の人たちが戦争の後に築いたものを受け継いだのが私たちの世代です。だから、私たちの生活設計が台無しにされないよう、注意を払っている。ヨーロッパが、今後どうなるべきかという大きなビジョンを持っているとは私には思えません。それは難しいことです。あまりにもうまくいっているからです。あまりにもうまくいっているシステムの中で不満を感じうるということは、また別の話です。

Q:映画に関する文章の中で、監督は、「アーベントラント」、すなわちヨーロッパのビジョンについて言及されていましたが、監督はどちらかというと悲観的な見方をしていますか?
NG:ええ、そうですね。私たちの生活形態について、全般に悲観的な見方をしています。いま、何が起きているのかをみたとき、非常に長い間、もう何も起きていません。私は本来、ありえないほどの楽天家なんです。歴史の流れをみると、高度に成長した文化はどれも凋落し、それでも地球は回り続ける。我々の時代以降も、回り続けてほしいと思います。誰もが少しずつ気づいているように、弓はもうきちきちに張られていて、どこを問わず、もうそれ以上は無理というところに来ている。それはどんなところにいても感じられます。それを否定する人は、本当の世間知らずです。私は別に、大いなる災難を予言しようとしているわけではありません。ですが、私たちは考えなければいけないということは確信しています。これは悲観主義ではなく、現実主義です。


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