OUTSIDE IN TOKYO
PEDRO COSTA INTERVIEW

ペドロ・コスタ『何も変えてはならない』インタヴュー

2. この惑星で起きていることのほとんどが、笑ってられる状況じゃない。
 まあ、僕にとってはね(笑)

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OIT:そう言った上で、(あえて聞くけど)あなたはこれをドキュメンタリー映画と呼びますか?
PC:僕は“映画”と呼ぶね(笑)。その理由で大事なのは、35ミリで撮っていること。本物のモノクロのネガだ。それはとても珍しいんだ。とてもアンティークなものになりつつある。

OIT:贅沢なものに。
PC:うーん、まあ、贅沢ではあるけど、そこが気に障るんだよね。若い人たちの考えでは、そもそも、贅沢という言葉そのものを混同している。それは写真という言葉に対しても。守らなければいけないものがある。時間は贅沢なものだけど、仕事をする上で必要なものだ。消えつつある、全ての技術的なものは、悲しいことに、例えば、フィルムのように、もしくは、ネガやプリントや、映画に携わる仕事、フィルムの色や、色補正や、微細な仕事とか。例えば写真家もそうだ。紙にプリントする写真家も。そういう意味での贅沢は(実は)ふつうのことだ。つまり、贅沢ではなく、ふつうにあるべきものなんだ。

OIT:筆述品ってことか。
PC:うーん、というか、我々のクラフト(技術)のためのツールだ。贅沢というのは、映画産業の周囲にある、役に立たないもののことを言う。映画作りに、必ずしもお金がたくさんかかるものではない。そこまでお金をかけなくてもできる。紋切り型の考えでは、時に、映画学校も、雑誌でもそうだけど、映画を作るのはとてもお金のかかることだと言われている。かなり特別な人のもので、とてもグラマラスな人たちのものだと。秘密のもので、そのための知識を持つごく一部の者がいて、秘密組織のような、マフィアのようで、いわゆるふつうの男やふつうの女にとっては全く別世界のものだという感覚。でもそんなことはほぼ嘘だと言っていい。今ではお金をかけなくとも、小さなビデオ・カメラで、友達の間で撮ることもできる。
劇場で受け入れられ、見せるとなると別だけど、それは僕ら映画作家のせいでもある。ほとんどの映画作家は、自分のキャリアにより興味があると思う。それは映画だけの問題ではない。社会、世界の問題であって、映画は単に、我々の社会の事柄を小さな鏡として映すものだ。そんなに違うわけがない(笑)。

OIT:今の映画学校は、いい物語を語り、いい映画を撮るよりも、自分の映画をどうマーケティングするかを教えているようですしね。
PC:うん、そうしているようだね。あまりにそれがひどくて、時に、30%、いや、ひどいと50%のボキャブラリーというか、そこで話され、書かれる言葉が、もちろん映画学校だけでなく、映画祭でもそうだけど、英語、いや、アメリカ語なんだ。映画をどう“売り込む(pitch)”か。最悪だよね、売り込むって。映画を売り込むということは、人を前に、そこからお金を引き出すために、映画とその物語のサイズを考えるということだ。最悪だよ。完全な身売りだ。でも言葉も全て、結局、アメリカの(映画)業界のモノマネなんだ。一番低俗なレベルのね。確かに映画学校はもうそういうことをやっているようだね。

OIT:ところで、さっき「我々映画作家のせい」と言ってたけど。
PC:それは一般的な意味での“我々のせい”ということ。若い映画作家、まあ、現代の作家だけど、我々はそれを失い、いや、もうずっと前に失ってしまっている。あのゴダールのおやじがもう何年も何年も前にそう言ってきた。そして映画が消えてなくなる日を待っていた。でもそれは映画だけでなく、この惑星における生き方も失われていると言える。この惑星で起きていることのほとんどが、笑ってられる状況じゃない。まあ、僕にとってはね(笑)。これはあくまで僕の意見だ。本当に多くのことが違う状況になってくれればいいと願うよ。映画、公害、都市で生きること、動物の生命…、よくないことがたくさんありすぎる。自分の国(ポルトガル)のことで言えば、まあ、僕の国は小さくて、産業と呼べるほどのものはない。ヨーロッパでは、フランスだけが、かろうじて、普通のレベルでそう呼べるものがあるかもしれない。でも、それはよりアルチザン的なものだ。ある映画によっては手で作られている。それにみんなが手を組むこともできていない。話し合うこともなければ、実際に会っても、みんな自分のことばかり考えているから、少し渋い空気になる。自分の成功や失敗についても。みんなが孤立している。だからもう少し集団として機能するようになれば、少しくらい変化が生まれるかもしれない。個人で動かせないことでも。フィルムのラボはヨーロッパにあって、もちろん日本もそうだと思うけど、彼らは倒産している状況で、みんな閉鎖に追い込まれている。そこで僕はアイデアを思いついた。友達に声をかけて、みんなでラボを買いとろうと提案した。多くの映画作家は、写真家にとっての、マグナムとかガンマといったエージェンシー、特にマグナムなんてまさに閉鎖しようとしているが、そこで、みんな自分たちのお金でやればいいと声をかけている。もしかしたら、僕らみんなでラボを買えばいいんじゃないかって。国際的なコーポラティヴを設立して、35ミリ、16ミリの作業をやれるようにすればいいじゃないかって。

OIT:それは機能しそうですか?いろんな人に話した時の反応は?
PC:うまくなんかいってないよ。映画祭で友達や仲間と会った時に話すのは話すよ。諏訪(敦彦)、黒沢(清)、河瀬(直美)、ガス・ヴァン・サント、タル・ベーラ。夕食を共にして、まあ、メールがくるかもしれないし、ファックスかもしれないけど、話し合おうか、会おうか、と言ってるうちに、3年が過ぎていく(笑)。

OIT:みんな自分の映画で忙しくなっちゃうからね。
PC:うん、もちろん。映画の話がくれば、作業を始めなければいけなくて、それで忘れてしまう。悲しいよね。(その間に)多くのものが消えていってしまうのだから。

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