OUTSIDE IN TOKYO
TERRY GILLIAM & LILY COLE INTERVIEW

テリー・ギリアム&リリー・コール『Dr.パルナサスの鏡』インタヴュー

3. (監督は)全ての登場人物に入り込む。Dr.パルナサスと同時にMr.ニックでもある。
  ファウスト的な考え方になって入り込むんだ。

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Q: ジョニー・デップ、コリン・ファレル、ジュード・ロウは?
TG: だって彼らは“ただの”最高峰の役者なだけで、脚本の穴埋めとして起用しただけだし(笑)。彼らの存在のトリックは、3人ともヒースと親しい友人だったわけで、それが最初の必然だった。そしてスケジュールが空いていたこと(笑)。
LC: それにやる気よね?
TG: そう、やる気。結果的に、3人は完璧だった。電話をくれたヒースの友人の他の役者たちはスケジュールが空かなかった。なのに、彼らほどトニーの様々な顔を表現できるトリオはいなかっただろう。
Q: 鏡に入る順番も、それぞれに合う順番があって決めたのでしょうか。
TG: まあ、ジョニーが最初でなければというのはあった。観客が、彼をヒースの代わりと認めてさえくれれば、あとは何とかなると思ったから。ジュードは、おかしなことに、ヒースが関わる前から話をしていたんだ。ジュードは資金集めのために作った美しい本にも入れさせてもらっていた。ジュードが梯子に乗った大きな絵を描いてた。だから彼は梯子に乗らなければならなかった。コリンは、トニーの本当の顔、つまり、最低なやつを演じるのにぴったりだと思った。それだけのことだ。でも選択は正しかったと思う(笑)。
Q: この映画は自伝的だと言われますが…。
TG: 誰がそんなこと言ったんだ(笑)!
Q: 違うんですか?まあ、それで映画を作る前から、自分がDr.パルナサスのように、アーティストとして時代の流れから外れている、無視されていると思うことはあったのですか?自分の作品に、自分が思うほど人が興味を持ってくれないとか、自分の言うことに耳を傾けてくれないとか。
TG: いや、それはないね。アーティストならば、ミュージシャンでも絵描きでも映画作家でも、こういう仕事に携わっている人はみな、自分のしていることを気に入ってくれる人がなぜもっといないのかって思うもんだ。なぜジェームズ・キャメロンのように、ジョージ・ルーカスのように、スティーブン・スピルバーグのようになれないのかって。そういう思考にはまってしまうのはたやすいことだ。でも、ただそれがいい始まりだと思っただけ。自分がDr.パルナサスとは考えてなかったよ。
LC: でもあなたはよくみんな趣味が悪いって言うじゃない(笑)?
TG: なんだって!
LC: キャラバンの美しさに誰も気づかないって(笑)。
TG: (笑)やられた。そうだね。それは一般の観客にどうアピールするかの問題だから(笑)。何の話だっけ?動揺してしまった(笑)。実際、脚本を書く時は、全てのキャラクターに共感できなければならない。みんな、僕の何らかの断片で出来ている。だって、僕はずっとリリーのような容姿になりたかったんだから(笑)。
LC: (笑)そしてトニーにキスするのね。


Q: では、自分が絶滅危惧種のような気はしないんですね?
TG: そうだね。今はまだ。あと数時間でどうなるか分からないけど。成功してる、人気のある映画を見てみなよ。暴力的で、男はタフでなければならないとか、そんな嘘ばかりだ。でも外の世界には不思議なこともあって、素晴らしいこともあるはずで、僕は別に自分のことばかり話したいわけじゃない。そんな要素を再びこの世界に戻して、みんなのために少しはおもしろくできないだろうかって考えてるだけ。書くというのはね、自分から飛び込んで、撮影の段階になればそこからまた出なければならない。でも全ての登場人物になっていなければ、そこに入っていないことになる。Dr.パルナサスと同じくらい、Mr.ニックでもなければいけない。そうやってファウスト的な考え方になっていく。そうやって入りこむ。自分がどうしてるか自覚があればいいんだけど、ほとんどの場合、何もないんだ。ただやってみて、後で知ることになる。必要な時に説明できるようにしなければいけないから(笑)。
LC: あなたは何でもやるもの!でも人生でよく見られるのが、あくまで私の意見だけど、多くのアーティストが、映画の中のDr.パルナサスのように、自分たちの声や意見やビジョンがその時代に受け入れられていないと感じてる気はする。死後になって認められたり。とにかく、ミュージシャンやアーティストにとっては常に闘いなのよね。
TG: そうだね。死んだずっと後に発見されるのを見ると不思議だよね。
LC: そうなのよ。それを言ってたの。そういうふうに感じるわ。常に闘いだって。
TG: それはアーティストについて回ることだから。誰が簡単だって言った(笑)?
Q: リリーも、演技の道へ進むと決めた時、自分の声がもっと聞かれるべきだと思ったから?
TG: もっと大きな声でしゃべるようにずっと言ってきたんだよ!
LC: (笑) 分からないけど、本当に正直に言うと、モデル業にちょっとだけ退屈していたんだと思う。しばらくやってきてることだし、他のこともやってみたいとずっと思ってた。それでたぶん、学業も続けてたんじゃないかな。そしていざ学校を離れてから、いくつかチャンスをもらって、最初にやるはずだった映画があったんだけど、それからイギリスのコメディの端役が来て、この作品の話が来た。その理由は、好奇心の方が強かったと思う。もちろん、学校でも演技は好きだったけど、それがプロとしてどこまで通用するのか分からなかった。そしてこの映画でテリーと仕事して、初めてプロとして関われるかもしれないという自覚が生まれたの。それが本当に楽しくて、本当に突き詰めたいのはこれだって気づいたの。


そこで時間となり、写真撮影の位置に入ってもらうと、「もう、モデルはやめたはずなのにー!」とリリーは笑うものの、その立ち姿はさすが堂に入っている。そして終始、彼女に突っ込まれっぱなしだったテリーもほっと息をつき、つぶやく。「もっと話したかったけど、これでもうすぐ終わりだ。早く次の映画にかかりたいんだ」そう、彼はジョニー・デップの主演ながら、様々な困難に見舞われて完成できず、それでも映画がいかに失敗したかを描いたドキュメンタリー映画『ラ・マンチャの男』で見られるように、頓挫してしまったあの映画を、この『Dr.パルナサスの鏡』もまた同じ憂き目に遭いそうになりながら、再び完成させるべく奮闘してきた。そう、ずっとだ。再びジョニー・デップで、という淡い期待も持ちかけるが、どうやらそれはなさそうだ。「でも、もう脚本はある!そしてロケ地も決めた!残るはひとつ!」そして少しの間の後、目を見開いたまま言う。「あとはカネだ!」そうか、やっぱりそこか…。「インディペンデント映画の資金集めは今、本当にキツい。でもそこさえ乗り越えれば何とかなる!」周囲の横やりもなんのその、どんな苦難をも乗り越えるべく奮闘を続ける監督の姿に、まさに彼が必死で描こうとしているドン・キホーテを見た。
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