OUTSIDE IN TOKYO
WOODY ALLEN & EWAN MCGREGOR INTERVIEW

ウディ・アレン&ユアン・マクレガー
『ウディ・アレンの夢と犯罪』オフィシャル・インタヴュー

ウディ・アレン監督 インタヴュー

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物語について

野心家イアンとお人好しテリーの兄弟の人生は、“カサンドラズ・ドリーム”号の購入をきっかけに、徐々に歯車が狂っていく。イギリスの労働者階級という舞台設定を借りて、アレン一流の悲喜劇の種が巧妙に仕組まれていく。


──この映画では、イギリスの労働者階級に興味を示していますね。
ウディ・アレン:ユアン・マクレガーとコリン・ファレルが演じる二人の兄弟が、金持ちの伯父が要求する特別の頼みごとを拒むことができないためには、彼らがお金の問題で窮地に陥らなければなりませんでした。私は裕福な人たちに関しては、簡単に書くことができます。パーク・アヴェニューや私の子供たちが通う私立学校の出口で毎日彼らと接し、私もそこに属しているからです。貧しさは子供の頃に体験しました。私は古ぼけた脳みそを更に働かせ、今回は、いつもよりも怠けないようにしなくてはなりませんでした。
──今回の映画でも罪悪感について探求していますね。
ウディ・アレン:罪悪感というのは私が常に強い興味を抱いている主題であり、明らかに殺人は道徳的な面と強迫観念的な側面においてこの主題を発展させ、掘り下げることを可能にしてくれます。同じ過去を持ち同じ教育を受けているにも関わらず、二人の兄弟はとても違った形で反応し、一人は自分がはまった危険しか見ず、もう一人は良心の呵責に苛まれます。良心の呵責の念を誇張するのはとても簡単なことですし、その上、とても滑稽なことが起こるようにすることもできます。もしこれが別の時代で私自身が登場人物を演じたとしたら、私はこの作品を喜劇にするために極限までに押し進めたでしょう。

悲劇と喜劇について

今にして思うと『メリンダとメリンダ』(04)という比較的アレン作品の中では地味な扱いの作品が、彼の多くの作品の基本構造を明快に解き明かしていることに気付く。それは、ごく端的に言ってしまうと“悲劇と喜劇”のパラレルワールド的展開の可能性ということに尽きるのだが、インタヴューでのアレンは、野暮な物語の構造論を語らず、シンプルな唯物論を明快に語る。


──あなたはコメディを放棄したのですか?
ウディ・アレン:コメディを作ると、それらを悲しい作品だと人々は私に言います。私は悲観的だったのかもしれません。本当のところ、私は今、30年前ほど悲観的ではありません。私にとって世界は今も悲劇的です。神が存在しないことを私たちは知っており、自分たちの道徳的な選択しか残されていません。私の道徳的選択はシンプルなものです。「愛と税金がある。他には何も重要なものはありません、下手くそな駐車をしない以外は…」
──『マッチ・ポイント』や『ウディ・アレンの夢と犯罪』は暗い作品です。これはあなたが今、束縛されずにまじめな作者でいることができると感じていることを意味しているのでしょうか?
ウディ・アレン:私はギリシャ悲劇の大ファンですし、これらの作品が時代を越え、今でもまだ上演することができるのは素晴らしいことだと思います。私が最初に愛したもの、それは悲劇です。若い頃、本当に書きたかったのは悲劇で、物語や登場人物の悲劇的な次元について取り組むのが相変わらず好きなんです。イングマール・ベルイマン、テネシー・ウィリアムズ、アーサー・ミラーが好きでした。私は喜劇のことは考えていませんでした。しかし映画は、建築のように、とてもお金に依存した芸術です。私は人を笑わせることができると人々が気づき、この道に駆り立てられたのです。人々は私に「退屈にしないでくれ!」と言ったのです。しかし実際には、私自身は、自分の作品が根本的に変わったという印象はありません。私のコメディには多くの悲哀が見受けられると言う人もいます。毎年、私は1本の作品を作りますが、それは喜劇でもあるかもしれないし殺人の悲劇でもあるかもしれません。私はひたすら滑稽でもなく、まったく悲劇的でもなく、ただ単に現実的なのだと思います。
──現実というのは?
ウディ・アレン:不条理です。意味が欠落している。その点で現実は、表面的には楽しい瞬間のある本質的な悲劇なのです。チャンスに恵まれている人もいれば、そうでない人もいる。彼らは違う列車に乗って旅をしますが、行き先は同じなのです。私たちは歳を取り、病気になり、そして死ぬ。私たちがどうあったのか、何をしたのかは全て無に至るのです。ベルイマンは亡くなり、これで終わりなのです。
──それでも彼の作品は残りませんか?
ウディ・アレン:しかし私が生きているからこそ、それを評価しているのです。私が死んだ時、偉大な作品は私にとって何でもなくなる。芸術、宗教、家族、全てが幻想なのです。なぜなら最後には何もあなたを救ってくれないからです。
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