OUTSIDE IN TOKYO
Yang Yonghi Interview

ヤン・ヨンヒ『愛しきソナ』インタヴュー

2. 言う事や、考える事を強要されることが多かったので、
 今は作品として積もり積もったものを吐き出したい

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OIT:そうやって話していくことはヤンさんにとってポジティブなことですか?
YY:はい。ドキュメンタリーは撮れた画でしか作れないので、ニュース・フィルムを使うとか、写真や声だけを使うとか、如何ようにも出来ますが、基本的に撮れた画を使いますよね。でもカメラの前で見せてくれる表情や発してくれる言葉は、私たちでさえカメラの前で、“言う”“言わない”を躊躇すると思うんです。ましてや北朝鮮みたいなところに住んでいるとすごくチョイスしますよね。それがたとえ身内のカメラでも。私も分かっているので、風景のように撮るので十分だなと思っています。でないと、向こうに迷惑がかかるので。でも本当のところ、カメラが回っていない時にしている話とか、カメラがいない時にしか出来ない、胸のうちに仕舞ってあるような話が本当だったりして。作家の立場からすると、もっとおもしろい話が、悲劇なども含めて、あると思うんです。そういう話に接しないと、(本当は)人や社会や国のことは分からない。そして私たちが普段接している映画や小説や作品はみんなそういう痛い話を赤裸々に見せてくれるわけで、私は日本で生まれ、でも北朝鮮の教育制度である朝鮮学校で育ち、朝鮮学校の生徒の中でも、いつも特別に先生に呼ばれて、もう少し特殊なことを言われていたわけです。「おまえは朝鮮総連で働いてあたり前だ」とか「将軍様に忠誠を誓え」とか、日本で生まれた女の子を捕まえて言うわけです。私はいつも冗談じゃないと思ってましたけど(笑)。

OIT:そこには父親への反発もあったのですか?
YY:それはありますね。20代までずっと。でもそんなシステムの中で兄たちはずっと生きてきたわけです。日本の生活経験がある人が、いきなり文革の中国のような、そんな時代の北朝鮮にいてどう折り合いをつけてきたんだろうとずっと疑問に思っていたわけです。そんな兄貴たちの本当の生活、本当の精神状態を知りたいというのがずっとあって、それも段々分かってきますよね。私が何度も平壌に会いに行っているし、兄貴たちとも、もちろんカメラを持たずにたくさん話してますから。うちの親も仕事や立場上、「将軍様、万歳!」とは言いますが、やっぱり何十回も北朝鮮へ息子たちに会いに行くうち、現実を知るわけです。でもやっぱり子供たちもいるし、立場上、子供たちを守るためにも本当に言いたいことは言わずに、この人たちでさえ、心の中にたくさんの言葉を仕舞いながら生きてきたんだなということを、自分も大人になりながらどんどん分かるようになる。でもあまりにもこういうことは外で言っちゃだめとか、こういう風に考えなさいとか強要されることが多かったので、段々とそれが積もり積もって、今は作品として吐き出したくなるんですよね。いつか言ってやるぞというのは、若い時からずっとあって、それが真実かどうかというより、私の感じたことをいつかちゃんと伝えたいというのはありました。だいたい、だめだ、だめだと言われると、もっとやりたくなるものですよね(笑)。すごくそう思っているのに言えなかった言葉が溜まりに溜まって、今となれば、兄妹や両親みんながそういう生き方をしてきて、家族で私一人くらい言いたいことを言いながら生きるよって、そう母親に言っていたんです。母もとても心配してくれていますが、『ディア・ピョンヤン』の後は私が入国禁止になり、家族に会えなくなりました。それで謝罪文を書けと言われました。でもそれで謝罪文の代わりにこれを出してるんです。これが私の答えですと(笑)。謝罪なんかする気はさらさらないし、私は止めません、みたいな。それもたいしたことしてないのに。家族の話をしているだけで。私が家族の話をすることに文句を言えるのは、うちの家族だけのはずなので。家族にやめてくれと言われたら考えますけど。でもありがたいことに、平壌にいる兄貴でさえ、それはソナの父親ですけど、彼らにとってはこんな妹を持って本当にリスキーで、妹の作品の作り方次第で自分達に直接危害や迷惑が及ぶかもしれず、私がソナのお父さんなら絶対やめてくれと言うところですが、彼はやめろとは言わないんですよ。もちろんドキュメンタリーを作るということも言ってありますし、何年間か撮る中で、実はこんなことを考えてるんだって、家族の記録としても撮っていますよね。でも作品として、出来れば韓国でも見せたり、どこの映画祭が相手にしてくれるか分らないけれど、出来れば、ピンからキリまで大小の映画祭に持っていきたいと。個人が誰でも作品を作れて発表していることは北朝鮮にいる人には分らないので、それを一所懸命説明して。そういう(条件の)中で、うちの家族の話を出して、兄貴たちの顔も名前も出し、モザイクもかけないし、もちろん、兄貴たちが収容所送りにならないように最大限、気を使って作るけど、保障はできないとは伝えています。

OIT:やはり直接的な表現は避けるようにしているのですか?
YY:そうですね。正直に作ろうとしながらも、露骨というか、キツい言い方にならないように気を付けてます。でも今考えると、おかげでヒステリックなアンチテーゼや何かの運動みたいな作品にならなくてよかったかなとも思います。別に運動をするために作ってるわけではないので。(兄も)ソナで一本作りたいと思っていると言った時にはびっくりしてましたけど。「おお、ソナがデビューか!」って。お兄ちゃんは大阪人なんで(笑)。思春期というか、中学くらいまで大阪にいましたからね。『パッチギ』みたいな感じです。まさにその世代で、ほんと『パッチギ』みたいな生活をしてましたから。
その時もやっぱり「俺らもこっちに来ちゃったし、お母ちゃんもお父ちゃんもああいう生き方だし、まあ、お前一人くらいやりたいことをやれよ、いや、やってくれよ」と言ってくれたんです。俺らの分までって。やりたいことは全部やって、行きたいところに全部行って、食べたいものを全部食べて、人生をとにかく楽しんでくれ、みたいなことは会う度に言われるので。それはもう兄妹としてはとてもありがたい兄で、とても勇気ある励ましで、ある意味、2つの作品のエグゼクティブ・プロデューサーはうちの家族だと思ってるんですけど(笑)。まあ、そういうのもあって、逆に謝罪文なんて書いた日には、何年後かに、たぶん、今の状況を酒のツマミにされるだろうなと。あんなことあったよね、みたいな。謝罪文を書けと言われたねって、笑い話になった時に、それにしても情けないな、おまえ、なんで(謝罪文なんて)書いたんだよと言われたくないわけで、ソナに対しても恥ずかしくない叔母でありたいし、そういうのはすごく励みになりますね。もちろん今も心配ですけど。今も毎日が心配です。

OIT:どれくらい会ってないんですか?
YY:5年です。2005年から会ってないんです。だから家族を守るためにも、家族を有名にしなければ、くらいに思っていて、だから逆にもっと取材も受けて、もっと色んな場所で見てもらいたい。私もどんどん出て、正直に話そうと。もう正直に話そうと本当に言いたい感じです。在日を描いた作品がいっぱい出ていますし、在日の監督や作家がたくさん活躍していて嬉しいんですけど、やはり北朝鮮と絡みがある作品だとどうしてもタブー視されたり、中にいる人も、なんだか(臭いものに)蓋をする(感じ)というか。もうそろそろタブーは無くしたいですね。最初はみんなびっくりするかもしれないけど、まあ、やってれば慣れるだろうと。前作から慣れてもらうためのプロセスだと思ってますから。そういう、うちの様な家庭を正面から描いた作品ってまだ少ないと思うので、次の作品はフィクションを準備中です。

OIT:そうですか!題材は何ですか?
YY:家族です!在日の家族で、ちょっとうちの家みたいな(笑)。

OIT:大阪が舞台ですか?
YY:いえ、予算的に東京にしてあります。北朝鮮の支持に一生を捧げているような父ちゃんがいる家庭です。そういうキャラクターってこれまでの作品だとすごくマージナルですよね。だからそんなキャラクターをどーんと真ん中に据えた作品にはなりますね。私もそろそろ本当に問題児として烙印を押されるくらいにならないといけないんだろうなという。問題はあるけどちょっと面白いってならないといけないなって。ソナたちを守るためにもそれは思いますね。

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