OUTSIDE IN TOKYO
Yang Yonghi Interview

ヤン・ヨンヒ『愛しきソナ』インタヴュー

3. 国が犯した罪によって個々人が背負わされるもの。もちろん、関係ないと言いたいし、
 冗談じゃないと言いたいけれど、やはり考えなければいけないことでもある

1  |  2  |  3  |  4  |  5



OIT:今作も、ふつうの会話やふつうの表情から出てくるものをすごく上手く捉えていると思いますし、声高に叫ぶことより、なにか滲み出てくることの方が大事じゃないかって感じさせてくれます。元々、性格的にも、映画作家になろうと思ったのですか?
YY:いえ、最初はぜんぜん。まさか20代の頃には、自分が今、40代にこんな仕事をするとは夢にも思いませんでしたけど、たぶん性格的に指図をされるのが嫌いというのはあるんですよね、何をするかは私自身が決める、みたいなのはありました。小学校の時も母が服を買ってくると着なかったんですよ。服屋にもう一回連れて行けって言うんです。他の服とかも全て見た後で、私も同じものを選ぶのなら着るけど、他のを見ないうちに袋を破ってすぐに着たりはできないって。いつも母が、「本当に生意気でうるさい娘ね」みたいな、そういうのはありました(笑)。

OIT:同じ条件なら私が選ぶと(笑)?
YY:はい。私のことは私が選ぶというか。親が私の進路を決めるとか、学校や組織が決めるとか、そういうのは絶対にいやだって思っていたので。我が強く、それはもう父ちゃんのDNAだと。父ちゃんも自分が選んだ道を突き進んだ人ですから、よく言ってたんですよ。「生きてる時に、父ちゃんが自分で選んだ道を進んだんだから」って。「祖国のためとか言ってるけど、父ちゃんが選んだんでしょ。私も私で選ばせてよ」って。逆に学校の先生とかコミュニティの方が私に強要することが多くて、親は一人残ったおまえくらいはっていうのがあったみたいで、結構、放任主義だったんですね。放任してたら本当に身勝手に育っちゃったんですけど(笑)。

OIT:末っ子ですよね(笑)?
YY:はい。あると思います。一人娘だし、やっぱり親も、特に父親なんかは甘くなると思うんですけど。

OIT:色んなバランスの中で全てが(最後に)出てきた感じですね。
YY:そうですね。それこそ、今までは蓋をしたり、内輪だけで話していたことをオープンにしたいという意味で、直接はソナと関係ないけど、ソナを取り巻くお爺ちゃんやお婆ちゃん、そして叔母が生きている日本では、ということで拉致問題の報道とかが今回の作品で少し出てますね。父ちゃんと私が、拉致報道について少ししゃべっている部分などは、朝鮮総連が一番嫌がる部分でしょうけど。でもみんな、ああいうふうに思ってましたから。オフィシャルでは未だに組織の人間として北朝鮮を支持する立場にいても、やっぱり飲み屋に行くとなんであんなことやったんだよってみんな言ってたし、あの時は在日が一番、直接的な被害者以外では、しんどかった時期だと思うんです。だって北朝鮮にいる人は痛くも痒くもないじゃないですか。拉致したことを金日成が認めようが。でも在日は本当に挟み撃ちになってしまい、自身ががっかりしたり、ショックを受けたりしたのもある。私は金日成が(拉致を)認めた頃はニューヨークに住んでいて、(結局)6年くらいいたんですけど。

OIT:今はニューヨークではないんですか?
YY:はい、今は東京です。そう言えば、私、新聞に投稿したんです。あまりにあっさり認めてしまったものだからびっくりして。内心、やりかねないとは思ってましたけど、嘘でも認めないだろうとは思っていたので。そう、まさかって。工作員同士(の拉致)なら分かるけど、ふつうの中学生の女の子を、それもふつうに歩いている女の子を誘拐みたいにして、それはないだろう、と思いました。それをあっさり認めてしまったら、やっぱり、そんなバカげたことをする国の人ってことになってしまうじゃないですか。たとえば国籍があったり、身内がいたりすると。よく韓国人や朝鮮人が植民地のことを、今の若い世代に(向かって)、君たちにも責任があるんだって言ってたし。それはよくドイツ人の友達とお酒を飲むと、昔のナチについて「本当は俺、ドイツ人が嫌いだわ」って言ってたのを思い出して。こういう気持ちだったんだ、私の友達って(思った)。国が犯した罪によって個々人が背負わされるものを。もちろん、関係ないと言いたいし、冗談じゃないと言いたいけれど、やはり考えなければいけないことでもあるんだなと思いましたね。

OIT:しかもご家族は選択してしまったわけですものね。
YY:そうなんですよ。あの後でもうちの両親は生き方を変えていないわけで、もちろん事件がひとつあったからって、それまでの人生を全部否定して、180度違う人生をというわけにもいかないでしょうから。でもあれはそれくらい、韓国と(その)北にいるコリアンよりも、在日に衝撃が大きかったことで、もう本当に、特に北朝鮮を支持する立場にいた人ほど嘆いたと思うんですね。直前までやってないって言ってたのに。やってないと宣伝しなさいと言われていたから宣伝していたわけですよ。そんなことするわけがないって。ところがある日、急に、在日はばっさり切り捨てられた思いです。

OIT:自分たちから切るという感覚にはならず?
YY:将軍様が、うちの親のように一生懸命信じている人たちを、本当に予告もなくいきなり切り捨てたんだなって。なんだ、うちの親たちは片思いだったんだって思いました。本当に、残酷だなって。そういうこともあって、私は昔から、北朝鮮で生きている家族を見ながらですが、自分の人生の中でお国のためとか組織ためとか会社のためも含めて、なんとかのためというのはもう本当に消し去ろうと、そういうのは自分の中で否定しながら生きている部分がありますね。そこまでがんばらなくてもいいんじゃないのってくらい、私はアレルギーになったと思います、それは自分で分かってるんですけど。たまたまこういう状況なので。でもソナには、やはり毎日笑って過ごしてほしいと思いますし、すごく複雑ですよね。あの国に対する思いは。

OIT:そうですね。でも彼女もまた大人になっていくわけですね。彼女なりに背負うものができたり、守るものが生まれたりすると、確実にそんな5年間の間でも変わってきますよね。手紙のやり取りは続けているんですか?
YY:はい。ソナは(映画の中のように)相変わらず英語で書いてきてくれますし、うちの母は(まだ)行ったり来たり出来るので、母が代わりに私の近況を知らせてくれたり、写真を撮って来てくれたりします。

1  |  2  |  3  |  4  |  5