OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

ボックスオフィスの彼方に 〜興行の縁で映画を考える〜
バーバラ・ローデン『Wanda』上映後のトークショー

ゲスト:坂本安美 聞き手:松井宏
主催:北仲スクール
2011年3月12日 東京藝術大学 横浜校地 馬車道校舎にて
採録:OUTSIDE IN TOKYO



2011年3月11日の震災の翌日14時から、北仲スクール主催のイベントでバーバラ・ローデン『Wanda』の上映が予定通り行なわれ、上映後には松井宏氏が聞き手を務め、坂本安美さん(東京日仏学院映画プログラムディレクター)のトークショーが行なわれた。トークショーが終わった後、携帯していた端末でtwitterを開くと、そこには「原発から黒煙」であるとか「外にいる人は肌の露出を控えること」といった原発関連のツィートがTLを席巻していた。そして、その翌日に予定されていたダニエル・シュミット監督作品『書かれた顔』の上映と松本正道氏のトークショーは中止されることになった。だから結果的に、この上映とトークショーは、地震と津波の震災直後にして、原発災害が露になる直前、半日の猶予の間に行なわれた上映イベントだったということになる。このトークに“原発の影”が微塵も落ちていないのは、そうしたタイミングで行なわれたイベントであったことによる。
(上原輝樹)

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『ワンダ』の視線に導かれて

松井:まず簡単に今回の企画についてお話しします。「ボックスオフィスの彼方に—興行の縁で映画を考える」という連続トーク&映画上映の企画です。いま、映画の上映をめぐる状況が誰にでもわかりやすい形でとてもよろしくない状況を迎えています。たとえば、先日新聞やニュースでも取り上げられた恵比寿ガーデンシネマやシネセゾン渋谷の閉館は、その一例です。もちろんその難しさは、映画を作る段階に関しても言えるわけですが、この企画ではそういった映画の製作や上映、つまり映画の入口や出口について考えてみようと。
そのために今回は5人のゲストをお招きして、彼らにお話をうかがうと同時に、彼らと関係の深い作品を選んでいただき、上映することにしました。その人選は、一言で言えば、それでも東京で豊かな映画体験ができる場や作品を私たちに提供しつづけてくれてきた方々です。そういった方たちとともに、歴史的な観点と個人史的な観点の両方から、いまの状況についていろいろ考えられたらと思っています。
初日のゲストである松田広子さんは、彼女が製作を務めた『カナリア』(塩田明彦監督)を選び、2日目の堀越謙三さんは、彼とレオス・カラックスの出会いとなった『汚れた血』を選び、また3日目の樋口泰人さんは、自身のレーベルboidを作るきっかけとなった製作作品『June 12 1998 ——カオスの縁——』(青山真治監督)を選んでくれました。そして本日4日目は坂本安美さん。選んでいただいたのはバーバラ・ローデン監督『Wanda』です。
まずは、せっかくですので坂本さんと『Wanda』との出逢いについてお話いただけますか。
坂本:『Wanda』という作品は、多分アメリカよりフランスでその存在が知られている作品ではないかと思います。アメリカでは大学の映画学部やフェミニスト系の研究会などで上映とトークが行われたぐらいですが、フランスですと71年に監督週間というカンヌ映画祭の正式部門とは別の部門がありまして、68年の革命の時代に生まれた部門ですが、その監督週間で71年に上映されたのが、恐らく、公式な形での初上映になるのではないかと思います。その監督週間というカンヌ映画祭の中でもある種特別な部門についてどういった作品がそこで紹介されてきたのかを振り返る企画を2〜3年前にやりました。その時の監督週間のフランス語の題名が「quinzaine des réalisateurs」、“15人の監督達”といいまして、それにちなんで15本の作品を選ぼうということで、その当時まだ選考委員にいましたステファン・ドロームという、今「カイエ・デュ・シネマ」の編集長である映画批評家と2人で相談をしながら15本選んだ中の1本が『Wanda』だったんです。

(小冊子をみせながら)これは「Les Inrockuptibles(レザンロキュプティーブル)」というフランスの雑誌が監督週間40周年を記念して作った小冊子で、監督週間で紹介された主なる作品がどういうものだったのかを振り返っています。設立当時から30年間ディレクターをやっていたピエール・アンリ・ドゥルーというディレクターのインタヴューも載せています。この特集のためにステファンと作品を選ぶにあたって、まず『Wanda』は絶対に入れたいなと思っていました。ここに載っている写真の中のワンダの視線、キャメラを、こちらを見つめているようなこの視線を見ただけで絶対『Wanda』はやりたいなと思ったのです。ただ何回かフランスでリバイバルはされていても、現在その権利とプリントがどこにあるのかっていうのが企画当初は分かりませんでした。調べていくうちに、実はイザベル・ユペールが2003年に権利を買っていることが分かり、フランスでリバイバルをした際に、ジェミニフィルムのパウロ・ブランコというポルトガル人の名プロデューサーがその配給を担当していることが判明しました。先ほど松井さんがおっしゃったように映画を撮るのが難しくなっているのは、やはりリスクを負えるプロデューサーが減ってきているということもあると思うんですが、彼はこいつに撮らせたいと思ったらどんなリスクでも負ってしまうプロデューサーの一人です。そしてリスクを負う度に倒産するわけです。ジェミニフィルムもこの企画の準備をしている当時、倒産していまして、じゃあ権利はどこにあるんだ、と探したところ、別の会社が引き取っていて、でも権利はやはりまだユペール側にあったので、ユペールに許可を得て、なんとか数年前に上映が可能になったわけです。


『Wanda』

監督・脚本:バーバラ・ローデン
出演:バーバラ・ローデン、マイケル・ヒギンズ、ミルトン・ギトルマン

1971年/103分/35ミリ/カラー

ボックスオフィスの彼方に
 ~興行の縁で映画を考える~
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