OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

ボックスオフィスの彼方に ~興行の縁で映画を考える~
バーバラ・ローデン『Wanda』上映後のトークショー

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日本映画の状況

松井:坂本さんは日本映画とフランス映画を繋ぐ役割も意識的に実践しています。フランスやヨーロッパの大きな映画祭では、90年代など日本映画は非常に注目されていたと思うんです。ところがある時期を境に、韓国映画と入れ替わるようにして注目度が低くなっていった。いろいろ理由はあると思うんですが、とても寂しいわけです。先ほど「どんなに良い作品が生まれても、観てもらえる機会がどんどん減っているのを肌で感じる」とおっしゃっていましたが、具体的にどういった瞬間にそう感じられるのでしょう?
坂本:去年からカンヌ映画祭に仕事で行かせてもらって、批評家の人達と話したり、セレクションする人達と話したりして、やはり日本人であるので、日本映画はいまどう?と聞かれますが、なんかあんまり期待してなさそうな感じがあるし、あと、さっき言ってた97年くらいに黒沢さん、青山さん、諏訪さん、河瀬さんなんかがばーっと出てきて、彼らのあの勢いとか彼らの作風の強さというか、それをやっぱり超えるなり、何かこう角度を変えてかないと、結局二番煎じになってしまうし、やっぱりそこも大きいと思いますね。あとテーマの問題にしても、また似たような、とか言われたり。
松井:「テーマが暗い」とか?
坂本:暗いは別にいいと思うんですけれども。最近皆さんが応援している作家の方、例えば、瀬田なつきさんとかにしても、日仏で仕事していると日本映画の若い方々をたくさん観られているわけではないんですけど、瀬田さんとか濱口さんとかたまたま最近の作品を観れたのですが、商業映画を撮ることで彼らの作品がちょっとがんじがらめにされてしまってるっていう批判の声も聞えてますけど、私も正直ちょっとそう感じていて、才能ある方々なので、そうなってしまうのは本当にもったいないと思います。今日観た『Wanda』なんて、本当に何もない所で生まれている映画ですが、何十年もの時間を経て、こうやって世界の中で観られて、評価され、映画史的にも重要な作品であると認められてきた。本当に貧しい環境の中でも、こういう映画が出来ているわけですから、お金だけの問題ではないと思うんですね。やっぱり会社が入ってきたりとか、特に日本なんかは会社の中の色んなこう…彼らの才能が絡めとられてしまうのは本当に馬鹿な話だなと思うんですよ。もちろん映画を作るっていうのはそういうこととの闘いではあると思うんだけど、そこを誰かが守ってあげてリスクを負って撮らせてあげるっていう、プロデューサーとかそういう人達が育っていくことも凄く大事だと思うんですね。だからマチュー・アマルリックっていう俳優であり監督でもある人が来た時に、同じように状況難しいよねって話をしたら、「俺は本当に文句を言う奴は嫌いなんだって」、あんな温和そうな顔な人なのに、急に強い口調で、「だって映画を撮るなんて難しいに決まってるじゃないか、そんなのずっと昔からそうなんだよ、今更そんな難しいなんて言ってる場合じゃないよ、そんな文句を言ってるより、とにかく頑張るしかないんだから」って、凄い真剣な口調で言うんです、ああそうだよなって思いました。彼は彼で、例えば『ウィンブルドン・スタジアム』っていう作品を撮りたいんだけどどうしよう?って言ったら、パウロ・ブランコが、とにかく撮り始めちゃえ、後は俺が何とかしてやるって言ったらしいんですよね。で、まあその時カジノに行ったのか分んないんだけど、お金を作ってきて、マチューに渡してくれたそうです。ある意味プロデューサーの理想像じゃないけど、そういう人みたいなんですよね。まあ、そういうような人の横で映画の助監督をやってきたからこそ、そういう言葉がでてくるんだな、と思いました。その中で、死んでいった人もいれば潰れてっちゃった人もいるけど、自分は自分のシステムを作っていかなきゃっていう、彼なりの模索をしている。みんなやっぱり今、大きなスタジオとか、本当に守られる何かが無い中で、自分達で砦を作ってくしかないと思うんですよね。
松井:そうですね。その時に監督一人だけではなく、プロデューサーなり批評家なり、一緒に闘う人間たちが常に傍らにいてあげないといけない。そうしないと監督だけがどんどん疲弊していってしまう。

映画の砦

坂本:ちょっと最後『Wanda』に戻りますけど、『Wanda』のことをエリア・カザンがマルグリット・デュラスに話している時に、バーバラ・ローデンがある時、カザンにとても悲しい声で「私は単に私の事を擁護してくれる男の人が必要だったのよ」ってぽつっと言った、「それだけなの」って。ワンダも多分そうだったと思うんですね。とにかく自分を擁護してくれる人が一人でもいれば良かった、だからそれであれば何かが出来るんだっていうことだと思うんですよね。
松井:まさしくそうですよね。
坂本:変にがんじがらめの中に入るよりは、ほんの数人でもいいから擁護してくれる人と砦を作って映画を撮っていった方がよっぽどいいっていう風には思うんですよね。
松井:日仏学院もそういう場になればいいわけですね。
坂本:うーん、まあいつ無くなるか分らないので(笑)。国に依存している部分もあるので、ただ存在している内は利用してやろうという気持ちですね。なので、皆さんにも大いに利用して頂きたい。お金を儲けなくてもいい場所というか、ある程度トントンでやっていけば映画を観て頂いて、そこで映画について話せる場所があるということは大事だと思うんですよね。全部が商業的な資本主義の中でしか映画が観せられなくなったら、やはり辛いと思うので、そういう意味で日仏っていう場所で、映画をこれからも上映していけるようにとは思っているので、皆さんもお力添えよろしくお願いします。
松井:皆さんもぜひ東京日仏学院に足を運び、坂本さんの活躍と映画の豊かさを確認してみてください。という事で、本日のゲスト坂本安美さんにもう一度大きな拍手をお願いします。
坂本:ありがとうございました。本当に今日、この日に来て頂いている方は『Wanda』を本当に観たいと思って来て下さった方だと思うので、とても嬉しいなと思います。どうかお気を付けてお帰りになって頂ければと思います。ありがとうございました。

後記:
今から考えれば、よくこの日にイベントを決行したものだと思う。私達はまだ何が起こったかはっきり分からない状況下で、でも何かが起こり、何かが絶対的に変わってしまった、変っていくことをどこかで感じていた。だから映画の状況を語りながらも、その予感、不安を抱えながら、どこか高揚して話していたのを覚えている。
この中で「日本映画の状況」について、「世界に日本映画をどう紹介していくべきなのか」、という問題について多少触れているが、数年前から日本映画が世界で発見されなくなってきていることへの危惧を感じていたが、震災後、さらにそうしたことを真剣に考えるようになった。世界の人々は、震災、原発によって日本が打撃を受け、疲弊していることを心配しれくれたが、それが憐れみ、あるいは諦めの目で見始められているのではないか。日本映画はまだこんなに面白い、元気だと、見せなければならない、そんな思いがあったのかもしれない。5月のカンヌ映画祭では、だから積極的に日本映画で今起こっていることを話し、紹介したい作家たちの名前や作品を繰り返し口にしていた。出会った中で、ロカルノ映画祭のディレクターであるオリヴィエ・ペールがそうした私の言葉に耳を傾けてくれた。そこには「カイエ・デュ・シネマ」に掲載された小山内照太郎氏の「現在の日本映画」についてのテキストのお陰が大いにあった。それから一ヵ月後、同氏は、日本映画できっと何かが起こっている、とある種の確信を持って来日した。「批評が、映画祭よりも先に映画を発見させてくれることがある。批評にはこうしてまだ力があることが証明された。」オリヴィエの言葉を糧に、批評と映画が結べる可能な形を模索していきたい。
坂本安美 7月15日 東京にて

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