OUTSIDE IN TOKYO
TALK SHOW

ボックスオフィスの彼方に ~興行の縁で映画を考える~
バーバラ・ローデン『Wanda』上映後のトークショー

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マルグリット・デュラスとエリア・カザンの『Wanda』を巡る対談

松井:2003年にユペールが権利を買い取った、フランスではリバイバル上映があったんですよね?
坂本:してますね。公開当時、「カイエ・デュ・シネマ」2003年7月・8月合併号は『Wanda』の特集を組んでいます。マルグリット・デュラスが82年に声をかけてなんとか上映をした時があって、その当時の「カイエ」では、デュラスとバーバラ・ローデンの旦那であったエリア・カザンの対談っていうのが実現していて、その一部が2003年の号にも掲載されています。デュラスがいかにこの作品に驚いたか、アメリカでは全然上映されていないけれど、この映画は私の映画にも、私自身にも似ていると。だからフランスだったら絶対観てくれる人がいる、フランスで私の映画が上映されるくらいなんだから、アメリカでも上映されておかしくないのよってエリア・カザンを説得しているんですね。この映画が撮られた経緯についてもエリア・カザンが少し語っています。
松井:坂本さんがご覧になったのは、先ほどおっしゃった東京日仏学院でのプログラムを組んだ時が最初だったのですか?
坂本:そうですね。だから結構最近になりますね。
松井:最初の印象はいかがでしたか?
坂本:本当に驚きました。多分ご覧になられた方は他の作品をレファレンスとして思い出すとするとカサヴェテスの作品を思い浮かべられた方がいらっしゃると思うんですけど、カサヴェテスよりももっと剥き出しの、なんかカサヴェテスでさえ演じさせてているんだなっていう風に思ってしまうというか、デュラスが、演じている対象と演じている人との距離っていうものが全く分らないと述べています。いまやドキュメンタリーとフィクションを分けること自体、徐々に意味が無くなってきているし、そこを分けないで撮っている方も多いですけど、この作品は71年に撮られていて、すでにドキュメンタリーを超える何かが映っていると思いました。松井さんがtwitterで『ワンダ』を紹介されるときに女性映画という紹介の仕方をしていましたけど、監督週間という部門は、68年という政治の時代に生まれたせいもあってか、インデペンデントの作品、そして女性がいままでにない形、何かに所属しないで存在している「女性映画」が多いな、と思いました。他の作品を挙げてみるとアラン・タネールの『サラマンドル』というビュル・オジェが主演している作品があり、これも同じ71年に撮られています。
松井:モノクロの、素晴らしい作品ですね。
坂本:そうですね。ビュル・オジェという女優さんは、ジャック・リベットの作品などに出ていて、今も活躍している女優さんです。『サラマンドル』は、犯罪に手を染めているという疑惑があってジャーナリストが追っていくんですけど、ビル・オジェ演じる女性も、ワンダと同様にどんなものにも回収されえない存在としています。誰にとっても他者としてあるというか。ワンダという女性は、正直なんかちょっとお馬鹿ちゃんみたいというか。
松井:いわゆる頭がちょっと弱い娘(こ)に見えますよね。
坂本:ただ、それだけじゃない何かというか、社会の中、単にはみ出しものっていうだけじゃない、なにものにも回収されえない強さ、生きる力というものを持っていて、そこがこの映画の凄いところだなっていう風に今日観て思ったんですよね。


「女性」が映画の中でどのように映されてきたか

松井:女性の描き方には「68年以後」ゆえの時代的な必然があると思うのです。さっきカサヴェテスの話が出ましたよね。たとえば『こわれゆく女』でも、あるいは『フェイシズ』でもいいですが、あそこでジーナ・ローランズ演じる女性は相当エグく描かれているとはいえ、やはりカサヴェテスのユーモアというか愛のある視線が映画全体を包んでいて、どこか喜劇的な部分も強くある。でも『Wanda』を観て驚いたのは、「打ち捨てられている感」が、カサヴェテス作品なんかよりもかなり強いということでした。
坂本:音とかも本当に最小限録られているくらいで、効果音とかも無いですしね。
松井:カメラも結構適当な感じで。
坂本:そうですね。撮影監督は当時シネマ・ヴェリテとかダイレクト・シネマで撮影したニコラス・プロフェレスという人が撮影と編集をやっていて、おそらく、あとは音響とアシスタントとエリア・カザンくらいですね。エリア・カザン自身が車止めとかもしていたらしいです。
松井:カザンも参加してたんですね。
坂本:そのデュラスのインタヴューを読むとワンダっていう女性の生い立ちというのはこの映画だけじゃ分らないですけども、やはり底辺で生まれ育ったまま底辺でしか生きてこられなかったみたいな、で、そのバーバラ・ローデン自身も若い頃似たような境遇の中で生きてきた人みたいで、人とのコミュニケーションがきちんと、いわゆる社会的な何かコードの中で取れ得ない人だったと。エリア・カザンとしては彼女に何かを与えてあげないとっていう気持ちである脚本を渡したらしいんですけど、結局、彼女がどんどん書き換えていって撮影中も書き換えていって、おそらくほとんどが即興で行なわれたようです。あるラインはあってもほとんど即興で彼女が動いていって撮られているということで、衣装代とかも無いので男性が着ている物は、ほとんどエリア・カザンの古着が使われたようです。製作費は16万ドルで、当時のアメリカ映画の製作状況で言えばほとんど無いに等しい微々たるものだったそうなんですけど、それでも7週間かけて撮ったという風に語っていますね。
松井:さっき言ったみたいに、ちょっとお馬鹿な子じゃないですか。でも最後のあたりで男と一緒に銀行強盗する時、銀行のディレクターの家に行って突然、それまでの彼女からは想像もつかないような鋭い動きで銃を手にして、活躍する。あそこはものすごく感動するんですよね。彼女が初めてちゃんと仕事をしている姿がそこにある。
坂本:結局こう何か自分に与えられたミッションをなんとかとしなきゃっていう使命感っていうのがすごくある。
松井:そうそう。彼女が初めて人に信頼される瞬間だ、というのがハッキリ示される。すごく感動しました。
坂本:そうですね。私はとくにフェミニストではないんですけど、でもやはり映画っていうものに関わっていて、「女性」がどういう風に映画の中で写されてきたかとか、現在、女性がどう映され得るんだろうか考えた時にこの『Wanda』という映画は、常に忘れないでどこかに持っていたい作品だし、必ずしも女性っていうものだけじゃなくても登場人物について考えた時も、ある意味、映画史上でも最も不可解な登場人物であり続けているなって思っていて、そういう意味でも今回もう一度皆さんと一緒に観たいなと思いました。

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