OUTSIDE IN TOKYO
F. GARCIA × S. MIYAKE DIRECTORS TALK

『聖者の午後』フランシスコ・ガルシア×『Playback』三宅唱:監督対談

6. 重要なのは何を撮影するのか、何を記録して残すのか、
 また同時に、何を撮影しないのでおくのかということです(三宅唱)

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フランシスコ・ガルシア:『Playback』について聞きたいのですが、『Playback』っていうタイトルも考えると、ああいう風に行ったり来たりする面白い時間軸の使い方をなさっていて、それが自分の映画と違うところですね、私の映画はただ単に一点から二点まで行くだけですから。時間と空間の往来を組み立てていく、あの組み立て方のアイディアはどこから出てきたのでしょうか?もうちょっと明確に言うと、先程も言ったように私の映画の中では時間を引き延ばすために、物語上は何も起こっていないということ、それからカメラが固定であったり、亀が出てきたり、しょっちゅうマリファナを吸っていたりする、『Playback』ではああいうモンタージュがされている、そのことについて似たような考察をするとしたらどういう風に言われますか?

三宅唱:根本にあるのは、人生は一度きりで同じことは繰り返し起きない、にも関わらずほとんど繰り返しの日々に生きているように感じる、という体感です。この不条理さが僕らの人生にはあると僕は考えています。人生は一度しかないということをより深く強く感じるために、むしろ映画の中では同じことを過剰に繰り返しました。そして、同じことが繰り返されるように見えて実は一回目も二回目も微妙な違いがある点に、人生の一回性が現れるのではないかと考えました。『聖者の午後』の方法とは違うけれども、時間は二度と戻らない、色んなものが崩壊していく、形が変わっていく、という感覚は共通していると思います。
フランシスコ・ガルシア:おっしゃったことに同意します、というのは、二つの映画は違うようでいて似ているところがある。一つ凄く聞きたいことがあるんですが、それは主役の方が実は凄く気に入って、比嘉さんにちょっと教えてもらったんですけど、もっと詳しいことを知りたいなと思って、どんな方なのか、普段どういうお仕事をされているのか。というのは、自分の映画に出てきた人達もそうなんですけれど、感情の起伏というものを見せないんですよね。『Playback』の中では、役者を演じている役者さんですよね、どことなくメランコリックな感じがあって自分は凄く気に入ったんですけれども。

三宅唱:主演の村上淳さんは映画俳優として日本で活躍している役者です。ビッグバジェットの映画や中規模の映画にも出るし、僕らのような小さなインディペンデントの映画にも出る。かなり自由に動いている、珍しいタイプの役者だと思います。つまり一言で言うと、不良ですね。劇中でスケートボードが出てきますが、彼は十代の頃プロのスケートボーダーで、その後に俳優になりました。今年で41歳なので20年強のキャリアがあります。最近はすこしでも時間が空くとすぐに映画館に通い詰めているようで、たまに興奮した様子で「すごい映画だったよ!」と電話がかかってきます。
フランシスコ・ガルシア:舞台の俳優さんではないわけですよね?

三宅唱:映画ですね。舞台も少しやっていますが。

フランシスコ・ガルシア:『Playback』をもって、今の現代日本というものの一面を記録していくという、そういう意図があったんでしょうか?それとも時間軸と空間というものを実験的に扱う作品を作るというのが主眼点だったのでしょうか?

三宅唱:主眼は前者にあります。タイムトラベルや時間軸の操作といったことは、ある種の遊戯やユーモア、肩の力を抜いた部分としてこの映画に必要でした。四十歳近い男が高校生を演じるというアイデアのばかばかしさに魅力を感じたのが出発点です。僕にとって重要なのは何を撮影するのか、何を記録して残すのか、また同時に、何を撮影しないのでおくのかということです。この映画は地震が起きたちょうど三ヵ月後に、大きな被害があった茨城県の水戸というエリアで撮影したんですが、ロケーションハンティングには時間をかけました。主人公がスケートボードをするあの道の隆起、あれのみが震災の跡だと明らかに分かる場所ですが、それ以外の場所でも、敢えて直接的な傷跡を撮影せずとも何か今の空気は映るのではないか、今の時代を生きている人間の顔をただ撮るだけで何か時代の空気が映るのではないかといったことを考えました。
フランシスコ・ガルシア:ありがとうございます。その水戸の話は分からなかったので、今おっしゃって頂いて良かったです。最後に一つ質問したいんですが、今教えて頂いたように淳さんはスケートボードのプロだったと、もちろん作品の中にスケートボードたくさん出てきて、始まりもそうだし、終りもそうだっていうことがあるんですけれども、主演の方がスケートボードを凄く好きで、またそれが上手い、ということが理由でスケートボードが出てくることになったのか、あるいは、もっと違うシンボリックなものとして描かれているのか、どうでしょうか?

三宅唱:結果的にシンボリックなイメージになりましたが、もともと『Playback』の企画は、『やくたたず』を見た村上淳さんから僕に一緒に映画をつくらないかと声をかけてくださったので、僕は彼のために映画を撮るぞ、というところがスタートだったんですね。彼の実人生と強くリンクするものを撮りたい、ならばスケートボードに乗っている姿を撮影しようと考えたのが最初のきっかけです。あとは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(85)で主人公がスケートボードに乗ってタイムトラベルする姿を思い出しつつ、撮影しました。
フランシスコ・ガルシア:だけど『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、ひっくり返ったら空回りしちゃって戻れないんですよね(笑)。


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