OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

河野知美『水いらずの星』インタヴュー

2. かなり小さい頃から、『エマニュエル夫人』(1974)とかを見てましたね(笑)

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OIT:そもそもは“表現力”を磨くために演技の勉強をし始めたというお話でしたが、音楽の方はどうなりましたか?
河野知美:俳優をやり始めたら、音楽のことなんか全く興味がなくなっちゃって(笑)。

OIT:すごい(笑)。
河野知美:今振り返ってみると、私にとっては自分を表現できるならば、その方法論は何でもいいんだな、と思います。その時は音楽であったと思うし、その時は演技だったんだと思うし、じゃあ、今なら演技と映画製作なのかなと思うんですが。何かの方法を駆使して、ものを作り表現する事が本当に好きなんだと思います。

OIT:シンガー・ソングライターは自分で曲を作って、歌詞を作って、歌いますよね。俳優では、主に脚本というものがあって、それを演じるわけですから、“自己表現”という意味では前者とは異なりますね。
河野知美:自己表現をそのまま形に出来る方は凄いな、と思うんですけど、私の場合は、作曲をして、歌詞を書くことって、すごくエゴイスティックだなって思ったんです。曲を書くのはとても好きなんですけど、自分の心情を書くことが、私の場合においてはどれだけ人に届くものなのか?と、すごく疑問に思って。誰かが綴った言葉を自分の中に入れて、外に表現していく方が、自分的には表現に対しての上手い距離感が保てるのかなと思います。

OIT:なるほど、良く分かります。俳優業をされていく中で、プロデュースをやりたいと思い始めたのはいつ頃のことですか?
河野知美:話が遡ってしまうんですけど、私の父が映画が大・大・大好きな人で、毎週レンタルショップに行って、借りられるMAX4本を必ず週末借りにいっていました。その父の影響で、私も父がレンタルしたビデオをジャンル問わず時間があると鑑賞するという幼少期を過ごしました。かなり小さい頃から、『エマニュエル夫人』(1974)とかを見てましたね(笑)。見たあとは、バレないようにちゃんと巻き戻して置いておきました(笑)。そういう幼少期を過ごしていたので、映画というものが生活の中に当たり前にある暮らしをしていました。なので映画の中に入りたい、みたいな感覚はずっとあったんだと思います。特に私が影響を受けたのは『パリ、テキサス』(1984)です。ナスターシャ・キンスキーの存在感といったら!美しいを超えているというか。こんな女性が世の中にはいるんだ、と圧倒されたのを覚えています。そういう小さい頃に見ていた素晴らしい映画のイメージがずっと頭の中にあって、こういう映画が作れたらな、こういう世界があったらな、そんな思いの末に映画製作にたどり着いた。といったところです。

OIT:『パリ、テキサス』の他に、特に影響を受けた映画はありますか?
河野知美:『天城越え』(1983)ですね。これはこれから公開される映画『ポーラーナイト』(2023/12月15日公開予定)の題材として参考にした作品です。あとは『復讐するは我にあり』(1979)とか。最近は、『マルサの女』(1987)の現代版を俳優の和田光沙ちゃんと作りたいね、なんて話をしています。一方で『今を生きる』(1989)とかも大好きです。

OIT:ロビン・ウイリアムスですね。大体、80年代の映画ですよね。その頃の映画が身近にあったわけですね。それが、そうした映画を作りたいという気持ちに発展していったのでしょうか?
河野知美:映画を作りたいっていうよりは、好きな映画のシーンから膨らんだ物語のアイディアを掛け合わせて、こねたり伸ばしたりして。それを実現するには映画が最適だ!みたいな感覚だと思います。

OIT:物語のアイディア。
河野知美:はい。あとは、ニュースやネットを見ていて、興味深いトピックがあるとそれを題材に映画を作ったら面白いんじゃないかという感じです。

OIT:なるほど。それで、最初にプロデュースした映画はどの作品ですか?
河野知美:『truth~姦しき弔いの果て~』(2021)という堤幸彦監督とつくらせて頂いた作品です。私と広山詞葉さん、福宮あやのさん、この3人がプロデューサーとして先頭を切って作った作品です。

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