OUTSIDE IN TOKYO
MATSUBAYASHI YOJU INTERVIEW

松林要樹『オキナワ サントス』インタヴュー

2. 今回は、波風を起こしちゃいました

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OIT:『花と兵隊』が2009年ですから、その後12年ぐらい経ってますけど、撮り続けていく中で映画というスタイルに拘ってやる部分と、題材によってはテレビ番組でもいい、むしろテレビ番組の方がいいと思うこともあるということですか?
松林要樹:そうですね、今回の場合、テレビ番組をまずは作りたかったというか、初めはテレビ番組でやらないと難しいんじゃないかなっていうのがありました。沖縄県人会の人達に説明するにしても、自主で映画を作って国際映画祭に出したいんですって言ってもピンとこない。NHK BSで放送されます、の方が取材を受けてくれる人達にとっても魅力的に聞こえるとは思いますよね。映画にはなるかもしれませんが、初めはテレビ番組を狙って東京とか色々な所に行って売り込んで来ますっていう形で話していたと思います。
OIT:なるほど。映画とテレビって違うと思いますが、例えば最初の『花と兵隊』の松林監督が画面の中にいて話を聞くというスタイルは映画では結構珍しい作り方だったと思うんですけど、それは作っていく内にそういう形になったのでしょうか?昔の話で恐縮ですけれども。
松林要樹:あの時は僕が20代の後半でした。それで、取材されている(老齢の)人達に20代後半の時のことを聞いてる訳なんです。それを意識して入れようということがあって、あの形になったところがあったと思います。
OIT:じゃあ意図的だったと。
松林要樹:何かしら画面に意味を持たせたいなと、そのくらいの感じだったと思います。ただその仕掛けが上手くいってるかっていったら、あんまり上手くいってないのかなと思う時もあります。
OIT:そこから松林監督は今のスタイルといいますか、要は観察映画的なものと全く違って、自分でストーリーを見つけていって、場合によっては資料まで発見して物語自体を作っていくという映画の撮り方に至っていますね。
松林要樹:今回は、波風を起こしちゃいましたよね。この発見した資料が元で訴訟のきっかけに繋がっていったということですから。何かしらの波風を起こしたような作りを結果的にやっていたということですけど。
OIT:そこまでいくということは、作ってる最中はまだ分からない。
松林要樹:分からないです。
OIT:カメラが現実の外にいて、外から撮ってるんじゃなくて、中に入っていって現実も変えるかもしれないという制作スタイルですよね。
松林要樹:今回は、撮影してる側と撮られる側の利害が一致したんですよね。宮城さん達がやっている移民研究塾の人達と利害が一致した。これだったら映画になるかも、番組になるかもと思いながら、ずっと撮影を続けてたんですけど。
OIT:あの資料は日本人会館に行けば、こういう資料があるんじゃないかという情報を聞いて探したわけですか?
松林要樹:そうじゃないです、たまたまですよ。サントス日本語学校っていうのは返還運動の対象だったんですね。ブラジル軍によって接収されていた場所が返還されたっていう象徴的な場所だったので行ってみるのはごく自然なことでした。ただ、地元のサンパウロ新聞っていうもう廃刊になった邦人紙があって、サントス事件の取材で記者が行ってるにもかかわらず、その資料に気付いてない。映像の中に出てくる大橋さんという方がいるんですけど、多分、その記者も大橋さんから説明を受けてるはずなんです。他にも日本人の記者とか、オリンピックとかワールドカップの2014年とか2016年にサントス日本人会館をたまたま訪ねて来る人も何人かはいたみたいなんですけど、そういう人に説明しても全く興味を持ってくれなかったんだと思います。だから大橋さんは、誰も興味を持ってくれませんでしたってことを言ってました。

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