OUTSIDE IN TOKYO
MATSUBAYASHI YOJU INTERVIEW

松林要樹『オキナワ サントス』インタヴュー

3. 那覇の首里劇場を拠点にドキュメンタリー映画の上映会をやりたい

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OIT:松林監督はそこを結構粘り強く見ていったと。
松林要樹:というよりはですね、入り口の所に無造作に置かれていたものを見つけて、それを見たら、これすごいじゃないですかってなった。今日はもう帰るんで、明日また出直しますって言ったら、それならオリジナルの資料がありますよと。僕が見つけたのは、オリジナルの資料を元に大橋さんがWordの原稿化したものだったんです。だからデータで名簿があるんですよ。それで、これのオリジナルがあるなら見せてくださいっていうことで、翌日、また訪ねていって撮影したのが、あの場面です。
OIT:画面に映ってたのはタイプライターで打った名簿ですね。
松林要樹:タイプライターで打ってる、古いオリジナルの方です。
OIT:この資料の発見があって、そこから映画が一気に動いていくっていう感じになりましたよね。宮城さん、山城さん、ブラジル沖縄県人会の人達が、こんなのあったのみたいな感じで食いついてくる。その前に、映画の流れとしてはこの強制退去事件があったことの背景として、ドイツの潜水艦が来てブラジルとアメリカの商船を沈めてしまって沢山の方々が亡くなってしまったことに触れています。この映画はそういうところがすごくちゃんとしていて、展開が丁寧で、編集も上手く繋がっているなと思ったんですが、構成を見出すのは結構大変だったりしたんですか?あるいはそうでもなかったのでしょうか?
松林要樹:実はあまり時間かかってないんですよね。編集はテレビ版の時はデータを整理する作業と落とす要素は結構早い段階からやっていて、全部で150時間くらいあった中から、実質15時間くらいの素材で編集してるんです。テレビ版では、沖縄差別に関するところとあの辺の一連の流れを入れてないので、映画ではそれをどこかで復活させたいということを考えてたんです。結局一年間、コロナ禍で仕事がなくなっちゃって、日銭を稼ぐのに大変でした。ドキュメンタリーの撮影とかリサーチとかを任されてる番組が、去年の6月の時点で無くなって、ギャラが入らないっていう状況になった。それで、これをやるかっていうことで7月から1ヶ月くらいで編集してフィルメックスに送ったんです。それから、慌てて英語字幕つけたり、整音とかをして。それで8月末〜9月の頭くらいに返事が来て、上映が11月初旬なので、逆算すると10月の20何日までにはDCPを作って、整音は10月の10日までという感じで、約2ヶ月でポスプロを全部終わらせるという感じでしたね。
OIT:そのポスプロの作業の中にはカラコレも入ってますか?
松林要樹:はい、ムーリン(映画製作・配給会社ムーリンプロダクション)の中谷さん、お世話になりました。
OIT:ちょっと話の筋からそれますけど、中谷さんは個人的にも存じ上げていますが、ムーリンのカメラマンであり社長でもある方ですね。
松林要樹:やっぱりドキュメンタリーの作り手の若い世代で上手だなって素直に言える人ってムーリンの黄(インイク/台湾出身の映画監督・プロデューサー、監督作品として沖縄八重山二部作『海の彼方』(2016)『緑の牢獄』(2021)がある)さんたちですね、日本の中に限って言えば。ちょっとアーティスティックな匂いをさせすぎてるなっていうぐらい走れるじゃないですか、あの人は。
OIT:作品のクレジットに中谷駿吾って書いてあって、おおっと思ったんですが、沖縄にお住まいだから、不思議ではないですね。
松林要樹:いい繋がりですよね。首里劇場を拠点にしようかっていう話が出てるんですが。
OIT:いいですねえ。
松林要樹:首里劇場でドキュメンタリー映画の上映会を週一でやるっていうことを考えてます。
OIT:首里劇場って雨降ると雨漏りする所ですよね?
松林要樹:そうです、未だにたばこを吸ってるお客さんがいるっていう。日本には他にないですよね。
OIT:1950年代ハリウッドの試写室を再現してる映画(『ディーン、君がいた瞬間』(2015))があったんですけど、そこでは批評家が皆たばこを吸いながら見てるんですけど、今はあり得ないです。
松林要樹:ないですよね、ポルノ映画館の時から見に行ってる大事な建物なんですけど、最近リニューアルされました。ドキュメンタリーで、それこそ「石垣ゆがふ国際映画祭」みたいな、ああいう流れで沖縄ドキュメンタリー上映会みたいなことをやれたらいいよねーって話してます。
OIT:それは素晴らしいですね。

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