OUTSIDE IN TOKYO
MATSUBAYASHI YOJU INTERVIEW

松林要樹『オキナワ サントス』インタヴュー

5. “強制退去事件”の背景にあった、ブラジル社会における反日ムーブメント

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OIT:文化が引き継がれている。
松林要樹:そうそう、この厚さが沖縄文化の底力だなと思います。僕は20代の頃、沖縄にすごく憧れていて、まだ行ったことがなかったけど、嘉手苅林昌さんやりんけんバンド(照屋林賢のバンド)とかのCD買って音楽をガンガン聴いてる時があったんです。その頃に憧れていた沖縄のイメージそのものがあったような気がしたんですね、ブラジルに。沖縄に初めて行ったのが2015年で、それで2017年から住みついてしまった、寒いのが苦手だから、こっちの方がいいよなって(笑)。
OIT:いいですよね、沖縄。夏は、東京より涼しいですしね。話を映画に戻しますが、1970年代当時に対立していた内地出身の人達と沖縄系の人達をまとめたのが、新(あらた)さんという方で、その方も登場します。
松林要樹:新さんは、育ちはブラジルの内陸の方なんです、戦後サントスにやって来て、それほど利害関係が無い立場だったので、日本人会会長として長年やってきたという方です。
OIT:確かに、外から来た人故に出来ることというのもありますよね。映画では、その後、知識人の方々が出てきます。シネマテーカ・ブラジル館長の普天間オルガさん、国際日本文化研究センター機関研究員の根川幸男さん、オ・エスタード・デ・サンパウロ新聞の保久原淳次ジョルジさん、サン・カエタノ・ド・スル市立大学歴史学教授プリシラ・ペラッツォさんといった方々が出てきて、“勝ち負け抗争”でテロが起きたこと、臣道聯盟の話、日本のアジア侵略戦争を背景としたブラジルにおける反日的なムーブメントといった話が出てくる。この“勝ち負け抗争”っていうのは、日本は戦争で勝ったんだと信じ込もうとする人と、負けたことを認めてる人との間の抗争ということですね。
松林要樹:そうですね。やっぱり地理的に離れていることと、情報も行き渡らない時代ですから、7割ぐらいは“勝ち組”だったと言われています。
OIT:それは内地出身、沖縄出身に関係なく?
松林要樹:関係なく。沖縄出身の人でも熱心な“勝ち組”の人はいたようです。僕も構造的に何故そうなったのかは、よく分からなかったんですけど。
OIT:あと臣道聯盟っていう話が出てきましたが、これは日本の国家神道のことですね。
松林要樹:はい、そうですね。
OIT:今の日本会議とは直接関係がないものでしょうか?
松林要樹:今の人達とは関係ないと思いますけど、今も結構、日本会議の人達は、南米に来ていますね。熱血的な支持者みたいなおじいちゃん達がいっぱいいいますから。それで、サンパウロの日本の書店ではちょっとした嫌中・嫌韓本みたいのが流行ってるんですよ。
OIT:そこは日本の国内とも重なりますね。
松林要樹:すごく上の世代のおじいちゃん達、日本語が読める70代くらいの1世の人達の中には、そういう思想の人が少なくないです。そういう匂いのする本をよく見かけました。あといかに日本が素晴らしいか、という日本礼賛ですね。
OIT:そうした話の流れの中で、ブラジルで日系人の移民受け入れをやめようという話が出てくるわけですが、そこで“高明な”メロ議員という方がいて、この方が反対票を投じたからそれが実現しなかったというエピソードも出てきます。
松林要樹:これはちょっとすごいことですよ。一国の憲法の中に“どこどこの国の人は受け入れません”っていうことを、移民で成り立ってるような国で明記しようという動きがあったわけですから。それは大変な事態になってたんだろうなって想像出来ますよね。
OIT:メロ議員のような方がいらっしゃったことが救いだったというか。
松林要樹:そうですよね。

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