OUTSIDE IN TOKYO
HANAYO OYA INTERVIEW

大矢英代はなよ『沖縄スパイ戦史』インタヴュー

6. 沖縄の人たちが学んだのは、軍隊は住民を守らないということ

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OIT:この映画を見て共感する人たちは、そうしたものに抗わなければいけないと思うに違いありません。エンドクレジットの中で、「伝えるべきことを伝えなかった者には、伝えなかった者の責任がある」という言葉を仰っている方がいましたけれども、まさにこの映画を見た人にも責任が生じるわけですね。

大矢英代:この映画を作る中で一番大事にしていたことがあります。波照間の浦仲浩さんという、私を受け入れてくれたお爺ちゃんがいたんですが、去年、そのお爺が亡くなったんです。私がこの映画を作ることが決まって、さあ波照間に行こう、というその三日前に亡くなってしまって、私の久しぶりの島への帰郷は、お爺の葬式から始まったのですが、そのお爺が私が学生の頃によく言ってくれた言葉があるんです。それは「英代には学べる者としての責任がある」という言葉でした。それは、戦争マラリアや沖縄戦を経験したお爺やお婆たちが、皆、本当は学びたかったのに学ぶことが出来なかった、勉強をしたとしても、軍国主義の時代で天皇陛下のために死ね、という時代だった。でも今はそういう時代ではなくて、自分が学びたいことを学べる、そして、そうして学んだ者の責任がある、だから、自分の興味本位をただ満たすための学びではなくて、それをどうするのかということを考えなくてはいけない、ということをお爺からいつも言われてたんです。この映画を作るにあたって、その言葉がずうっと胸の中にあって、死んだお爺がちょっと背中を押してくれたような感じがあったんです。

戦争の悲惨な話を伝えることだけでは何の意味もないと思っていて、昔は可哀想だったね、今は平和でいいね、ということで終わってしまいますからね。でも、ブッシュ大統領だって、平和のためと言って、イラク戦争を始めたし、安倍総理も平和のためといって自衛隊を派遣しています。平和のためというのは、実は為政者に利用されやすい危険な言葉なんですよね。ですから、戦争を起こした、そのシステム、その構造を問わないと本当に学んだことにはならないと思うんですね。沖縄の人たちが学んだことというのは、どこでどんな戦争体験をしていようが、軍隊は住民を守らないという結論なんです。これはただ単に、自衛隊が敵の前に立って私たちを守ってくれないという意味ではなくて、沖縄の人たちが言う“守らない”というのは、住民は使うだけ使われて、必要であれば、銃も持たされて、殺し合わされて、最終的には捨てられる、全ては国家のために、そういう意味での“守らない”ということなんですよね。

もし、この意味がわからないのであれば、私は本当の意味で沖縄戦の体験を学んでいないということではないかと思うんです。三上さんも私もそうですけれども、報道の仕事をしてきた人っていうのは、少しでも社会を良い方向に変えたいという思いで作品を作っているのだと思いますが、私は一方で、この映画をひとつ作っただけで何かを止められるはずはないと思っていて、むしろ、これは種のひとつでしかないと思っているんですね。それが花になるか、実になるかは、やはり民主主義の土壌が育つかどうかだと思っていて、それはこの国に暮らす私たち一人一人に掛かっていると思うんです。それは、鎖のひとつのようなものだと思っていて、私がお爺から渡された鎖をまた繋げていって、これから何十年も掛けて、その希望の鎖を繋いでいくしかないのかなと思っています。

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