OUTSIDE IN TOKYO
HANAYO OYA INTERVIEW

第二次世界大戦末期、日本の国土で唯一、“地上戦”が展開された沖縄では民間人を含む24万人もの命が失われた。当時の沖縄では、1945年6月23日に牛島満司令官が降伏を宣言した「表の戦争」の終わりの陰で、牛島満が自決前に遺したとされる「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」との一文に呪縛されたかのように、ゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続けられた。そして、その過酷な作戦に動員されたのは、まだ10代半ばの少年たちだった。

彼らを“護郷隊”として組織し、スパイ戦のスキルを仕込んだのが、あの(市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』シリーズとしても知られている)“陸軍中野学校”出身のエリート青年将校たちであり、1944年の晩夏には、大本営が下した遊撃隊編成命令を受けて、42名の“陸軍中野学校”出身者が沖縄に渡り、偽名を使い、学校の教員などとしてすでに配置されていた。彼らが沖縄に潜伏した真の狙い、そして、彼らがもたらした惨劇とは、一体どのようなものだったのか?

沖縄三部作(『標的の村』(13)『戦場ぬ止み』(15)『標的の島 風かたか』(17))を通じて“沖縄の闘い”を伝え続ける三上智恵と新進気鋭の大矢英代、ふたりのジャーナリストが、長期に亘る取材から紡ぎ上げた『沖縄スパイ戦史』は、10代の少年たちを過酷なスパイ戦に動員した”少年ゲリラ兵部隊<護郷隊>”、軍命によりマラリア禍の地に強制移住させられた波照間島民の悲劇、住民協力を得て作られたスパイリストに基づいて行われた“スパイ虐殺”、3つの知られざる沖縄戦史の探求を通じて、現在まで連綿と連なる、国体護持の為に住民に犠牲を強いる為政者たちの狂気の歴史を炙り出す。

重要なのは、こうした為政者たちの狂気の命脈は今現在も途絶えておらず、日本軍の残滓を孕んだままの“自衛隊法”や“野外令”、“特定秘密保護法”の中に脈々と生きているということだ。戦後、74年が経った今だからこそ明らかにすることができる、過去の沖縄戦の全貌と同時に浮き上がるのは、米国の“軍隊を支えている国”としての日本の姿である。ここに、若き俊英大矢英代監督のインタヴューをお届けする。

1. アメリカに留学して、アメリカの“軍隊を支えている国”としての日本の姿が見えてきた

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):映画を拝見して、第二次世界大戦末期の知られざる沖縄戦を探求していく中で、現在へと連なるとても重要な問題が浮き彫りにされていく、素晴らしい作品だと思いました。大矢監督は、大学でジャーナリズムを専攻後、放送局に入社するという経歴をお持ちですが、最初に、この作品に至るまでの経緯をお話頂けますか?

大矢英代:実際は、大学の時はジャーナリズムとは無縁の生活をしていまして、英語の教員になろうと思って英文学科で教職課程を取っていましたが、一方で国際ボランティアで途上国支援の仕事をしたいという気持ちもありました。途上国や紛争地帯などで苦しんでいる人たちのための仕事をしたいと思っていたんです。2007年にアメリカに留学する機会がありまして、大学の1年間ですので、正確には9ヶ月間留学をしました。その時に初めてアメリカ軍というものについて考えさせられる機会があったんです。今まで紛争地の人々を現地に行って助けたいと思っていたわけですが、考えてみれば、当時、イラクやアフガニスタンに侵攻中だった、紛争地に出撃している軍隊、そういう“軍隊を支えている国”としての日本の姿が見えてきたんです。

具体的に言うと、私が通っていた大学で軍隊に志願する人たちがいたんですね。2007年というのはリーマンショックの前の年で、アメリカ経済にガタが来ていた時で、経済的な理由から学校に通えなくなる人たちが出てきていた。そういう人たちが米軍に入っていくという状況がありました。私は今まで、アメリカ軍には、ある種の好戦的な人たちが入るんだろうと思ってたんですど、実際は経済的に困っている若者が仕方なく志願していた。それを見た時に、アメリカ軍というのは、全部がそうではないにしても、こういう若者たちで成り立っているシステムなんだなということがわかってきたんです。

結局、戦場で傷ついている人たちも弱者ですから、弱者対弱者の戦争の中で、そういう戦争のシステムを支えている日本という国の姿が見えてきて、基地を持っていることの“加害性”に自分もとっくに加担しているんだということに気付いた、それなら日本に帰って、基地の問題を自分なりに学びたいと思ったんです。それは、私がアメリカにいた時に、沖縄の人たちが基地の街で暮らすことの苦しさを自分の言葉で語れなかった、私自身がそういう取材をしたことがなかったので、自分の目や耳で感じたことを伝えることが出来なかった、その悔しさから、現場へ行きたいという思いがあったんです。私は元々、物を書いたり、話したりすることが好きでしたので、伝える仕事で役に立てるんじゃないか、それなら、ジャーナリストかなと思って大学院でジャーナリズムを専攻したんです。

『沖縄スパイ戦史』

7月21日(土)より沖縄・桜坂劇場、7月28日(土)より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー

監督:三上智恵、大矢英代
プロデューサー:橋本佳子、木下繁貴
撮影:平田守
編集:鈴尾啓太
監督補:比嘉真人
音楽:勝井祐二

(c)2018『沖縄スパイ戦史』製作委員会

2018年/日本/DCP/114分/ドキュメンタリー
配給:東風

『沖縄スパイ戦史』
オフィシャルサイト
http://www.spy-senshi.com
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