OUTSIDE IN TOKYO
VERENA PARAVEL & LUCIEN CASTAING-TAYLOR INTERVIEW

ヴェレナ・パラヴェル&ルーシァン・キャステーヌ=テイラー
『リヴァイアサン』インタヴュー

4. アートと映画、特に最高のアートは、可能な限り夜に盗みを働く。
 いつも夜と共にある

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OIT:観客としては、邪悪とまでいかなくても、暗くて不穏な、闇を伴うメカニズムがあって、そこに引きこまれる感じでしたが、そんなトーンはすでに決めていたのですか?同時に、『リヴァイアサン』はホラー映画のようだという人もいます。それも音楽が理由かもしれません。音楽は編集の後に入れたのですか?
VP:映画音楽はないわ。音響効果だけ。あ、1曲だけ…。
OIT:ヘビーメタルの?
VP:漁師の聴いているヘビーメタル。
OIT:他には全くノイズなども加えずに?
VP:ないわね。
LCT:音響的にはかなりがんばったんだ。ヘビメタ、グランジ、ホラー、SF的な美意識のある音響にして。
OIT:でもあえて音は作っていないんですね?
LCT:そうだね、現実から来る映像と音響を繋げることに拘ったから。あえて音楽というものは録音していない。
OIT:そんな音響が素晴らしかったです。
VP:どうしてか分かる?それは私たちが“怪物”を表現したからよ。
LCT:彼らが漁をしている間もずっと撮影していたから。彼らが漁に出ている限りはずっとカメラを回していた。漁というのは海にとって暴力的な行為だ。他の種に対しても、漁師自身に対しても。漁師は非人道的な扱いを受けている。給料も安いし、搾取されているようなものだ。10時間働いて1時間休み、10時間働いてまた1時間休むという感じ。生きていくのが不可能なくらい。物理的に続けることが不可能なんだ。漁師のような重労働はないだろう。だから漁業は、ならず者やはみ出し者、犯罪者や麻薬中毒患者を惹き付けてきた。陸の上では叶わない、自由と同時に拘束が必要な人たち。最初は僕らも“闇”のことは考えていなかった。24時間、明るいうちから、常に撮影している状態だったから。でも海中や水上でも、あまりに疲労困憊し、たいてい昼と夜の区別さえつかなくなる。アートと映画、特に最高のアートは、可能な限り夜に盗みを働く。いつも夜と共にある。夜と闇と。はっきり明示できないもの、透明性を拒絶するものなど。映画のほとんどが暗いのは偶然じゃないと思う。アコースティックな意味でも映像的な意味においても。
VP:音響について付け加えておきたいんだけど、それが大変な作業だったのは間違いないわ。尊敬すべき2人(の音響技師)と仕事をしたけど、美意識的としても感受性でも真逆だった。でももし音が足されている印象を受けるなら、GO-PROの音をたくさん使っているからだと思う。とても不穏で金属的で、歪んだ音。それはプラスチックのケースが要因だったと思う。海上に上がったり、また沈んだりして、耳障りな音を排除するよりもそれを共存させたかった。だから逆に多くの音を切ったの。同時にたくさんの音を作っていて、それは50時間分の録音された音だけど。だからたくさんある素材から全てがシンクロしていたわけではないの。加えた音もたくさんあるけど、それは(元々)船上からの録音なの。つまり、全ての音は船の上から来ている。
LCT:文字通り、シンクロしてるわけじゃないんだ。その音は僕らが海に出ている時に録音されている。併せている音も多少はあるけど、もっと広い意味で加えていったんだ。
OIT:それは強調するためにも?
VP:網の音、船が戻る時の音、GO-PROで録音された音だから音質はよくないけど。
LCT:金属的で空っぽな音になる。
VP:そういう音も入っていたから使っただけ。調整して、きれいにして入れていった。
OIT:音は意図的に入れたものも?
VP:常に音を録音している状態だったし、映像も同じスタイルで撮っていた。音響は映像と同じくらいいいものでなければならないけれど、どちらが優位でもなく、どちらかが強いわけでもない。どちらかが植民化(支配)するわけでもない。一緒に機能しなければならないんだけど、重さも同じでなければならない。音響も映像と同じ注意を払わなければいけないの。
LCT:同時に、音響と映像は反発し合わなければ。映像が分かりやす過ぎたり、明白すぎたりすると、その時に使われる音は不穏で気に障るような、とても不安を煽るものでなければならない。その結果、違った印象で映像を見ることになる。

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