OUTSIDE IN TOKYO
VERENA PARAVEL & LUCIEN CASTAING-TAYLOR INTERVIEW

ヴェレナ・パラヴェル&ルーシァン・キャステーヌ=テイラー
『リヴァイアサン』インタヴュー

5. そこにはもっと肉体的で、内包し、直接的で、ある意味、言葉以前の何かがある

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OIT:それは船室に人がいる時ですか?仕事に従事する人たちを映しながら、どこか耳がツーンと詰まったような、遠い音に聴こえます。
LCT:両方あると思う。GO-PROのマイクは単一指向性(音を拾うのが一方向)で、長いこと水中にあり、プラスチック・ケースに入っている。するとキンキンした、芯が抜けたような音になる。その結果、遠くてどこか詰まったような音になり、その音質を部分的に気に入ったんだ。どこか電気的、機械音のようで、通常の録音と違うように感じた。どこか水に沈んだような。本当は生きていない、そこにいないような。同時に、僕らが船上にいる時の体験に忠実な音を望んでいた。体験の絶対性、圧倒的なパワー、理解不能な状態。日本は分からないけど、ヨーロッパでもアメリカでも、漁師はピラミッドの最下層にいる。誰も彼らの健康を気にかけない。そもそも何があるわけでもないけど、船内には全く防音対策が施されていない。だから船内はとんでもなく音が大きい。船にいると、肉体的にも視覚的にも圧倒されるだけでなく、音量的、音響的にも圧倒される。常に波が激しく衝突し、エンジン音、ウィンチの金切り声が聞こえる。船首でもほとんど互いの声は聞こえず、声を張り上げないと聞き取れない。少しでも相手の耳に届き、理解してもらうには叫ぶしかない。この映画に台詞がない理由はそこにもある。叫んでも相手の言っている内容までほとんど聞き取れない。コミュニケーションをとりたいという感情だけはあるけど。それも言葉でなく、ジェスチャーや表情や視線でね。
OIT:室内で撮ったものはほとんど台詞も入れていない、という点も選んでいるわけですね?
LCT:船室でインタビューをしたわけでもないし、彼らも本来しゃべる人じゃない。陸での映像はほとんど、いや、全て捨てたから。海の映像も90%は編集で落としている。船室や操舵室の映像もほとんど捨てている。だから船内の映像だけを捨てたわけじゃない。ほとんどの映像は静かで、寝ているか、あまりに疲れて、旅そのものでぼろぼろに疲弊していた。とにかく、僕らが興味を持っているより、船内で撮った映像は、より見慣れて見知ったもので、人間的だった。でも内でも外でも、僕らの作品を見れば、いや僕らの他の作品を見ても分かる。でもどんどんと、僕らの映画では他のフィクション映画と比べても言葉や台詞は重要じゃないと思う。多くの人が演技し、ある場面を演じようとしながら、まるでカメラがないかのように振る舞う。ドキュメンタリーでは、人は何かに思いを廻らせ、インタビューやナレーションでどういう意味かを語るものだ。でもそういうものから離れたかった。そこにはもっと肉体的で、内包し、直接的で、ある意味、言葉以前の何かがある。(大事なのは)僕らがどのように現実を理解するか。その中で言語はほんの少ししか占めない。君(VP)も何か付け足す?
VP:ううん、同じことが言いたかったのに、今みたいに上手く言えないから(笑)。結局、人間は動物だという考えがある。この映画の中で言葉があるとすれば、それは唸り声のような、動物の吼えるようなもの。動物と人間の垣根を払うような。そこには混乱が生まれ、よく人間が動物のように見えたり、逆に動物が人間のように見えたりするようなもの。彼らの話す言葉自体、そこまでおもしろいわけじゃないし、そもそも彼らの話すことには興味がなかった。たいてい彼らは疲れ過ぎて、言葉を交わすこともほとんどなかった。それに彼らの行動を解説するためにしゃべらせることは避けたかった。だから本質的なロゴスは私たちの編集リストになる。
OIT:遠くから船を撮るようなショットがあります。他の船のライトが見えているような。それは複数の船で並走していたのですか?
LCT:それには3つのショットがあると思う。最初のショットは、実際の船の映像だ。まず水中に6分間沈み、カモメと一緒に海に浸かりながら下から見ている。そこで突然浮上し、ボートの前に出ると、カメラと激突する“リヴァイアサン(怪物)”となる。でも(実は)それは船の舳先から撮影されているんだ。棒の先につけたGO-PROを舳先から垂らして。GO-PROは超広角レンズだから船のかなり先にあるように見えるけど、船首か、他の船の後ろから撮っているように見える。次に夜の映像がある。舳先から別の船を見るような。

でも船は一隻だけで、そのボートに僕らも乗っていた。漁師はポルトガル系なら船隊を組んで行動し、協力して作業することが多い。でもポルトガル系以外なら一人で動くことが多く、別々に船を出す。それに情報の共有も嫌う。でもたまに信用できる友達がいることもあって、船長と仲の良い友達の船がいたんだ。それで向こうの船長が煙草を切らしたからって、こっちの船長が煙草を何箱かジップロックに入れて(笑)ブイに繋いで海へ投げこんだ。それで嵐の中、船の横を走りながらキャッチしなければならなかった。それをGO-PROの広角で見るとかなり遠くに見える。それはとても大変なことだ。それともう一つ。最後のクレジットが流れた後にカモメたちが遠くに見える。それは今見ても、どうやって撮れたんだって思うよ。すごく遠くに見えるから。でも船には安定翼というものがあって、海が荒れている時に、海底に沈めながら引っ張る重しのようなもので、錨を沈めて引っ張るようにしてひっくり返らないようにする。僕らはたまにそのアウトリガーに出て撮影した。この最後のショットは船首の横から棒につけたカメラで撮っているのに、どういうわけか何百メートルも離れて撮っているように見える。でも実際、カモメはすぐそこだった。何百メートルもあるように見えるけど、実際は最大で10メートルくらいしかない、目の錯覚なんだ。

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