OUTSIDE IN TOKYO
VERENA PARAVEL & LUCIEN CASTAING-TAYLOR INTERVIEW

ヴェレナ・パラヴェル&ルーシァン・キャステーヌ=テイラー
『リヴァイアサン』インタヴュー

7. 僕らは世界から攻撃され、襲われる

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OIT:それで(ハーバード大学で彼らが指揮する学部)感覚民族誌学研究所(SENSORY ETHNOGRAPHY LAB)がどういう意味なのか分からないです(笑)。
LCT:(笑)僕らもさ。でもある意味、説明してるとも思うけど。
OIT:ということは『リヴァイアサン』もそれを体現しているわけですね?でも(見ている我々は)それについて(意識的に)考えず、そこに入り込んでしまうわけですが。
LCT:入り込んで、感じて、自分の中から出てくる。それは君を攻撃し、襲いかかる。僕らは世界から攻撃され、襲われるわけだから。かと言って、(ネパールのマナカマナ寺院への巡礼を描いた)『MANAKAMANA』(2013)のような映画も、説明せず、解釈もしない。それでも、それはずっと静謐で、瞑想的で、それ故に全てが迫るものでもない。全ての感覚的な体験が高度な感情となり、高度なパワーを持っていればいい。それでも唯一興味深いのは、感覚民族誌学は、その感覚体験の問題が意味性でも、意味を成すことでもなく、同時に意味を成さないことにあり、それはある意味、感覚以前と言うのか…。
OIT:レオス・カラックスがこの映画を気に入っていたことはどう思いました?
VP:ニューヨーク映画祭で彼を見たわ。映画を見てくれたってことね。隣に座っていたから。
LCT:でも映画を気に入ったことは知らなかった。
OIT:日本の映画ジャーナリストが、彼の口から直接聞いたとのことです。『リヴァイアサン』を気に入ったと。それ『クロニクル』(2012)も。どちらもカメラの使い方が革新的な映画です。
VP:その話は知らなかったけど、ニューヨーク映画祭で上映される前にバーで隣に座っていたの。それで上映に併せて出て行ったから見るんだなとは思ったけど、気に入ったかどうかまで知らなかった。でも彼の映画は好きよ。
LCT:僕らが彼の映画を好きなのは明らかだけど、いろんな意味で正反対にある。彼のは究極のフィクションで、大スタジオが製作し、橋を作り直したり、エキストラが何千人といたり、何百万ドルとかかっているが、同時に、彼は狂気や獣性、非伝統的な語りに引きつけられる。それはまんま、僕らのノンフィクションのモチベーションの核となるものだから。
OIT:彼の映画は見ているんですね。
LCT:『ホーリー・モーターズ』(2012)とか。
OIT:『ホーリー・モーターズ』には、カメラがどんどん小さくなっていくというセリフがありますね。彼があなたたちの映画を見てから撮ったんじゃないかと思うほどです(笑)。
LCT:ドニ・ラヴァンはまさに動物だ。純粋に獣な動物だ。東京が舞台の『メルド』(2008)もいいね。
OIT:フィクションで音響デザインが成功している映画は?
LCT:ちょうど飛行機で素晴らしい映画でひどい体験をしたばかりだ。『THE SELFISH GIANT』というオスカー・ワイルドの物語が原作で、監督は英国人のクリオ・バーナードだ。僕が育ったブラッドフォードという、イギリス北部の貧しい地域が舞台だ。そんな美しい映像をエアフランスのみすぼらしいスクリーンで見るという悲しい体験をした。暗い部分は見えず、陰影やグレーも全く判別できない。でも2人ともボーズのノイズキャンセリング・ヘッドフォンをしていたから、全く映画音楽もなく、映画の音響があるだけだった。それが本当に素晴らしかったんだ(笑)!
そう笑う2人がフィクション映画に足らないと苛立ちを感じる“感覚性”とその興味の一端が垣間みられた気がする。そうして彼らが陸の映像は使わなかったというニューベッドフォードの街を実際に訪れた時の記憶を思い起こしてみた。昼間の観光客を相手にするシーフードの店や土産店、ヨーロッパの植民者たちの夢を謳ったプレートは陽の陰りと共に空虚に歪み始める。うらぶれた街路、色褪せた倉庫、漁港特有の饐えた臭いに、荒んだ人の気配が濃さを増す。そこからは感傷的な夕陽も、大海原へと乗り出す漁船の後ろ姿にも微塵のロマンティシズムも感じられなかった。船は闇の中へと姿を消す。その先の事は映画で描かれている。
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