OUTSIDE IN TOKYO
SUZUKI TAKUJI INTERVIEW

鈴木卓爾『ジョギング渡り鳥』インタヴュー

2. とにかく足し算で作っていくっていう感覚で始めていった

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OIT:受け入れられるというのは、観客に受け入れられるということですか?
鈴木卓爾:それも含めて、あれはでも共演者との間のことですね。俳優と俳優の間にある心持ちを二人で上げたり下げたりしているような作業をやっているっていうのが、僕は妙に気に入っちゃって。そこからスタートして、脚本を入れて芝居みたいなことを探っていったりする初歩のコンディションの持ち方みたいなところ、そのものが、映画を作ろうって思う以前に面白かったです。そうすると俳優が何かの役になるっていうことが芝居をするっていうことだったり、ドラマを生きるとかいうことが俳優の作業だったりっていうよりも、人間になるにはどうしたらいいんだろうって悩み続けているような、そういう波動というんですかね、そこに感動しちゃったんでしょうね、僕は。
だから、美学校に入る前と後では演劇っていうものに対する認識が変わった。根本的には、映画だとどうしても映ってしまったところがスタートになっちゃう、だけどこうやってまるで自分達のことを粘度を捏ねるみたいに造形している、その姿みたいなものっていうのを、合宿したいって言われた時にまず先に撮りたいなと思った。それで『ポッポー町の人々』の時に集まった偶然性の子達よりもずっとコンビネーションが出来ていて、劇団のようだし、バンドのようだし、相手がどういう人間か分かっている状態で、集団でこれをやらせて動いたら面白いだろうと。なんかそれは一般の映画で言うとお話しでも何でもないコンセプトなんですけど、彼らがいて見つめられて見つめ返したりっていうことを延々と繰り返してるような時間を記録出来ないだろうかっていうのがスタートだった。
OIT:その抽象的なアイデアを、まずはあらすじに落し込んだわけですか?
鈴木卓爾:そのあらすじを作るのが大変で、まずやったのはみんなに2000年代に書いてあった短編のプロットを見せたんです。それがまだ台詞があったりするものではなくて単なる『ジョギング渡り鳥』というタイトルのプロットで、毎朝ジョギングをしているOLから見た世界がまずあって、そのジョギングのコースに集まっているどういう素性の人達かは知らないけれど、毎朝顔を付き合わせている人達がいて、その中心にお茶を配ってるおばさんがいたんですね。そのおばさんがお茶を配ってるもんだから、なんとなく顔見知りになってコミュニティみたいなものがゆるく出来ていく。OLさんはどこか家族的ではなくて、渡り鳥に近い、渡り鳥ってみんなで飛んで海を越えていってまた季節が変わると戻って来るみたいなことをやってますが、あれはみんな家族だからやってるのか、家族じゃなくても習性として群隊としてあれをやってるのか、そういったことに、毎朝ジョギングしている自分を重ねあわせているOLだっていう設定だったんです。どうやってそれを撮るの?っていうのは全然おいといて。僕、元々多摩川沿いに住んでたり、昔は北千住に10年、荒川沿いに住んでいて、よく鳥が飛んでるのを見ていたんです。
OIT:川沿い多いですね(笑)。
鈴木卓爾:川沿い多いんですよ。これポイントなんですけど、川沿いが多いって本当に大きくて、それこそ小学校の時も川の側に住んでいて、大学時代はちょっと川から山を隔てた所に住んでたりしていたんですが、川が好きなんですね、川とか水が好き。その渡り鳥の姿を見ていたような気がしたんです、朝走りながら渡り鳥が飛んでく姿を見ている人っているんだろうなとか、走ってる時に前を走ってる全然知らないランナーの背中を借りて風を避けさせてもらったりしてる人いるんだろうなとか。そういう時に、鳥はそれでどこかにざーっと飛んでいってしまうんだけど、多分地上で毎朝走り回ってる人は、そのコースをずっと、サークルをぐるぐる回ってるだけなんだなと。飛んでいってしまうもの、飛んでいってはまた戻ってくるもの、っていうもののことをそうは出来ないでいる人達の話として書いたホンだったんです。そのジョギングコースのコミュニティに毎朝集まってる10人くらいの人達を全部描くとしたら、彼らの映画美学校でやっている人間になるための訓練みたいなことと、単純に走る、サークルを回り続ける動きがシンクロしてくるような感じがあったんですね。

まずは『ジョギング渡り鳥』という昔書いたプロットがありきで、このOLの純子っていうのは誰かがやるけど、他の人達も今からリハをやってエチュードをやってもらって、どういう職業についているのか、誰と誰が関係があるのか、2〜3人は顔見知りで仲が悪かったり、ここはじゃあお茶を配ってる夫婦にしようとかっていうことを徐々に11月くらいからみんなで集まっては毎日エチュードを始めてったんです。中にはプテラノドン出したいとか、変な設定を言い出す人もいたりしながら、それこそ本当に厳密にシナリオを書くっていう作業だと、はまっていかないのばっかりなので、整合性がとれていなくてもいいから、とにかく足し算で作っていくっていう感覚で始めていったんです。それで年明けの1月、埼玉県深谷市の深谷フィルムコミッションの強瀬さんっていう人にこういう映画撮りたいんだけどって言って、合宿で撮りに行く、どうなるのかは全く分からない、ただこの十何人かの“間”にあるものを撮りたいんだけど、はっきり台本が決まっているものでもないし、撮影までには大雑把な流れのストーリーは出来てたんですけど、完璧に出来上がってるものではなくて、すごく隙間の多いシナリオで、それを元に撮影しながら変わっていっても構わない、ごっこみたいなことを始めたいっていう風にして始めた。それって実はすごく面倒くさいことなんですけど、みんなでそれを撮影して、みんなで終えて、みんなで移動して、みんなで飯作るっていう、効率の悪いことをやりたいっていう申し出をして、それで撮影が始まったんです。


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