OUTSIDE IN TOKYO
Bruno Dumont Interview

タル・ベーラ 伝説前夜
『ファミリー・ネスト』『アウトサイダー』『ダムネーション/天罰』公開記念インタヴュー

4. 『ダムネーション/天罰』を形作るフォームは、
 日本に初めて行った時のある体験が元になっている

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『ダムネーション/天罰』
Q:『サタンタンゴ』(1994)以降の監督の作品は全て見ていたのですが、今回この3作品を初めて拝見して、改めて、作品群の持つリアリティの強度に驚かされました。『ダムネーション/天罰』の具体的なシーンについてお聞きしたいのですが、『ニーチェの馬』(2011)の時、風がずっと吹いていましたけれども、あれは全部人工の風でしたね。『ダムネーション/天罰』ではずっと雨が降っているわけですけれども、これも人工の雨でしょうか?ということと、最後の野犬とのシーンが凄くてちょっとびっくりしたんですけれども、どのようにあのシーンを作られたのかを教えてください。
タル・ベーラ:まずレインマシーンを使っていたというのが最初の質問の答えです。犬の名前はレックスという。私はご存知の通り、色々な作品で色々な動物と仕事をしてきましたが、動物と仕事をする時は、彼らのことをよく知らなければならない。この作品の場合はレックスと主人公のカーレルを演じた(セーケイ・B・)ミクローシュが毎日一緒に遊びながら取っ組み合いみたいなことをしていた、犬はもちろん学ぶのが好きだから凄く楽しんでいたけれども、そうやって関係を築いていかなければいけない。『サタンタンゴ』の時は、猫とのシーンも全く同じやり方でやっていて、(ボーク・)エリカと猫がまず遊んでから、あのシーンを撮影するに至っている。撮影自体はそれほど難しいことではないけれども、やっぱり動物たちが何を感じてるかっていうことをきちんと理解しなければいけない。遊びだったり、撮ろうとしているものが動物にとって普通のことであると感じられるようにすることが大事なんだ。『ダムネーション/天罰』以降の私が撮った映画の中でも、自然との関係、動物との関係というものを掘り下げてきた。牛が歩いてくる『サタンタンゴ』のオープニング・シーンなんかもそうだ。そういうシーンをなぜ撮っているかといえば、宇宙(ユニヴァース)という視点で考えれば、そこにいるのは人間だけではなく動物もいるし、自然もある、それら全ては共存しているのだから。私はそういう視点で物語を撮っている。

ところで、初期の作品とそれ以降の作品の違いということに目を向けてみると、最初は社会的なこと、世界を変えたいという想いで作品を作っていたのが、人間同士の関係に留まらず、より一歩前に進んで、自然であったり、宇宙であったり、より遠く、より深淵なものを撮るようになったのが、その違いということになるだろう。『秋の暦』(1984)から『ダムネーション/天罰』へと進んでいくわけだけれども、『秋の暦』は、この世の地獄、人が他人になし得る酷いこととは何かを模索した作品になっているが、その次の『ダムネーション/天罰』を形作るフォームは、日本に初めて行った時の体験が元になっているということをここでお伝えしておきたい。それは1984年のことだった。東京で『秋の暦』が上映されるので、私は日本を初めて訪れていた。その時、私は9時間にも及ぶ能の舞台を見に行ったのだが、演者は30分くらいをかけて一つのステージを端から端まで横切っていった。その時の体験は、徐々にゆっくりと自分の中で腑に落ちていった。その後、残念ながらお名前は存じ上げないのだが、当時90歳くらいの教授の方に出会い、彼は私をある美術館に連れていってくれた。そこには白いフレームに入った二つの黒点だけがある大きな絵画作品があった。教授はこの絵を見ながら、あなたを含めて西洋の方というのは黒い点のところをご覧になるでしょう、でも私たちは白の部分を見るのですと言った。何か凄く理に叶う、合点のいくところがあって、飛行機に乗って帰国した後、なんと私は愚かだったのだろうと思った。なぜいつもストーリーばかりに耳を傾けようとしていたのだろう、白い部分にもっと耳を傾けるべきじゃないかとこの時に悟らされたんだ。この発見は私にとってとても重要なものとなった。ご存知の通り、物語というものはいつでも同じものだ、だからこそ、どのように、どこで、いつ、私たちに起きていることを描くのかということこそが重要だ。それこそが私にとって最大のテーマとなった。


『ダムネーション/天罰』
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