OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

塚田万理奈『満月、世界』インタヴュー

5. 私って、常にヒマなんです

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OIT:『世界』には“世界ってかっこいい”っていうセリフがありましたよね。あれは、脚本で書いた言葉ですか?
塚田万理奈:脚本にはあるんですけど、元々は秋ちゃん自身が言った言葉です。私は秋ちゃんはただ言葉が出るまでにちょっと時間が掛かることはあるけど、よく考えてる子なんだと思ってて、吃音だとは思ってなかったんです。それで秋ちゃんが作文を書いたから読んで欲しいって言われて、読んだら吃音のことが書いてあった。それがとても良い作文で、新聞に載ることになったんですけど、秋ちゃんがテンパって電話してきたんです、新聞に載りたくない、どうしよう、って。どうして?すごくいい作文だよ、って言ったら、こんなに自分のことばかり考えてる作文じゃなくて、世界のこととか、かっこいいことを考えてる作文なら良かった、って。それを聞いて、世界ってかっこいいんだ!と思って。秋ちゃんにとって、世界ってかっこいいの?って聞いたら、えー、世界のこととかって、かっこいいじゃん、って言われて。あ、そうなんだと。

OIT:それは素晴らしいですね。そうして秋ちゃんと話したこととか、満月ちゃんと話したこととか、色々なことを知っていくわけですけど、断続的とはいえ、10年間の撮影期間の中で、『刻-TOKI-』にはそうしたこともフィクションとして入り込んでいるのですか?
塚田万理奈:子どもたち自身が私の過去の友達たちとは違いますし、役とは違いますので、彼女たちと関わって、この子が演じるならば、この役は私の書いた脚本や、私の過去の友達とは違うなと気付くことは一杯あるので、満月がやってくれている役はやっぱり満月っぽく書き直したりとか、秋ちゃんがやってくれている役も秋ちゃんが言うとしたら、感じるとしたら、という感じで、キャラクターとかセリフに反映はしています。

OIT:『満月』と『世界』はほぼ標準的なスパンの中で撮られた作品で、『刻-TOKI-』はちょっと規格外のタイムスケールの中で撮られる映画ですから、これからどうなるのか分からないっていることが結構あるわけですよね。
塚田万理奈:あります、メッチャあります。正直言って、全然分かってないです。子どもたちが降りるって言い出したら、その役は書き直さないとならないし、常々、将来に対するビジョンは、脚本はあるけれど、実際にはどうなるか分からない、という感じです。

OIT:『刻-TOKI-』を撮り始めたのは、いつで、今、どれくらい撮り終えているのですか?
塚田万理奈:コロナ禍の2021年に撮り始めて、中学編、高校編は撮り終わっていて、今、子どもたちは大体大学生になっていて、大学編はないので、その間は撮らないんですけど、大学が終わって、新社会人になったら大人編を撮り始める予定です。

OIT:じゃあ、ボリューム的には半分くらい撮れているのですね。そもそもの話に今頃戻ってしまいますが、何で10年間という期間を掛けて、『刻-TOKI-』を撮ろうと思ったのでしょうか?
塚田万理奈:シンプルに言うと、私、ヒマなんだと思います(笑)。私って、常にヒマなんですけど、求められていることがあまりないので、自分のやりたいことに時間を注いでいい人生だなって思っています。この予算とこのキャストでいつまでに作ってくださいって言われることがないから、じゃ、好きに撮ろうって。ドキュメンタリーが好きなのもそうなんですけど、本物の人間の尺度が好きなので、その尺度で撮れたら楽しいだろうな、って思うんです。

OIT:いいですね、ヒマだからっていうのは。世界のヒマな人々を勇気づける発言です。
塚田万理奈:映画で食べていこうとは思ってませんので。映画は好きなこと、作りたいものではありますけど、それがイコール食べていこうではないです。そうしようと思ったことがないです。生活は生活でいいと思っています。

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