OUTSIDE IN TOKYO
WOODY ALLEN INTERVIEW

ウディ・アレン『人生万歳!』オフィシャル・インタヴュー

2. “西海岸のウディ・アレン”?、ラリー・デヴィッド

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本作ではその“ニューヨーク”に加えて、強力なキャラクターがもうひとり加勢した。アメリカのTVドラマ『ラリーのミッドライフ・クライシス』で“西海岸のウディ・アレン”?とでも呼びたくなる存在感を発揮していたラリー・デヴィッドが主人公のボリス役に起用されているのだ。ニューヨークが舞台でラリー・デヴィッドが主演、というだけで本作への期待感はいやが上にも高まる。


ウディ・アレン:当初はアッパー・イースト・サイドのアパートメントを捨てて、イーストビレッジに引っ越す男の話だったが、チャイナタウンの方が絵になると思ったので、舞台をチャイナタウンに変更した。もともと主人公ボリスの役は、ゼロ・モステルを念頭に脚本を書いたものだった。しかし、彼が亡くなってしまったために一度は、映画化を断念していたんだ。最近になって面白いアイデアだったと思い返して、このキャラクターに見合うユーモアと器の大きさを持っているのは誰だろう? とずっと考えていて、ラリー・デヴィッドなら面白いだろうと思ったんだ。僕は彼のファンだったし、以前小さな役だったけれど、『ラジオ・デイズ』(87)と『ニューヨーク・ストーリーズ』(89)に出演してもらったことがあったし。

『ラジオ・デイズ』と『ニューヨーク・ストーリー』に出演していたのは気付かなかったが、調べてみたら、そもそもラリー・デヴィッドも出身はニューヨークであった。やはり、あの毒舌はニューヨークならでは。それにしても、名優ゼロ・モステル(マーティン・リット監督の“レッド・パージ(赤狩り)”を描いた秀作『ザ・フロント』(76)でアレンと共演)が亡くなったのは1977年のことだから、アレンはかなり以前にこのアイディアを考えていたことになる。70年代後半といえば、『アニーホール』(77)、『マンハッタン』(79)という正にロマンティックな傑作を連発していた頃のウディ、本作にはそんな往年の勢いすら感じられる。当初からこの役柄を本人が演じるつもりはなかったという、ある種の”自由さ”が、ここまでアグレッシブな脚本を可能にしたに違いない。

ウディ・アレン:ラリーは僕よりもずっとうまくできる。ラリーはとても悲観的で、痛烈で、皮肉屋で、ネガティブで手厳しい。それでも彼を好きになれる。彼は面白くて、生き生きしている。彼の人格がそうさせるんだ。もし僕がこの映画に主演していたら、ただの頑固で、うんざりする、意地悪な男になっていただろうね。(ボリスは)文句をつけて、何事にも欠点を見つけ、ネガティブだが、ラリーにはそれができる。だから彼は素晴らしいんだ。彼はそういう才能を持っているんだよ。

確かに、ボリスの辛辣さはかなりのものだ。アレンが言う通り、このキャラクターをアレンが演じていたら、ここまで突き抜けた作品にはならなかっただろう。アレンの言葉は、全く謙遜などではなく、脚本家、演出家としての極めて真っ当な判断に基づく発言に思える。ニューヨーク的な毒舌を、西海岸ハリウッドの強烈な日差しの下で更に鍛え上げてきたラリー・デヴィッドは、太々しさが必要とされる本作の主人公として実に申し分ない。
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