OUTSIDE IN TOKYO
WOODY ALLEN INTERVIEW

ウディ・アレン『人生万歳!』オフィシャル・インタヴュー

4. 原題Whatever Works(うまくいくなら何でもあり!)に込められたアレンのメッセージ

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本作はボリスとメロディーの物語として中盤まで推移するが、実は、中盤以降に展開する、ステレオタイプな南部出身のメロディーの両親が経験する“変化”にこそ、本作の最も重要で素晴らしいメッセージが込められている。アレン作品にしては意外ともいうべき、このメッセージ性の高さが近年のアレン作品の中でも郡を抜く素晴らしい作品に仕上がったひとつの要因に違いない。原題のWhatever Works(うまくいくなら何でもあり)という言葉にはアレンの明確なメッセージが込められている。


ウディ・アレン:本当のところ、人生は厳しいことばかりだ。だから他人を傷つけない限り、うまくいくならなんでもありでいいと思う。どんなにおかしな恋愛関係であっても、うまくいくなら、それでいい。それは恋愛関係に限らず、職業や、趣味や住む場所にもあてはまることだね。孤島に一人で暮らすことがその人にとってうまくいくならそれでいいんだ。これ以上言うべきことはない。そしてこれは人生のほかの要素にも当てはまると思う。どんなに型破りな手順でもそれが当事者にとってうまくいくなら、それを追求するのは悪いことでも何でもない。誰かの権利を侵害したり、傷つけたりしさえしなければ、その人の人生を生きるのにうまくいくならそれが何だって構わないってことだよ。

インモラルな側面を併せ持つキャラクターたちが、それぞれの幸せをつかむこの映画は、強い幸福感を観る者に与えてくれる。昨今、稚拙な発言で巷を賑わしているどこかの知事とは正反対の寛大さだが、これはアレン自身の人生観によるものだろうか?

ウディ・アレン:そうです。つまり人生には戦略があり、幸運であれば戦略を見つけて切り抜けることができる。人生そのものは難しい課題だが、戦略を身につけて、正しく立ち回ればバランスよく切り抜けることができるということ。

それでもバランス良く切り抜けるには“運”が必要だといのが彼の持論。人生の90%は”運”で決まると彼はよく言っている。

ウディ・アレン:ある日突然道を渡っているときに、誰かが袋を落として、君がそれを拾ってあげて、そこから会話が始まってその相手が一緒にいて楽しい人だったなんて出会いがあるかもしれない。でもその後も、実に多くのことがうまくいかなくてはならない。車に轢かれないように、末期ガンにならないように、相手も同じように幸運であるように・・・。そして相手が楽しむことを君も楽しみ。相手も君が楽しいと思うことを楽しまなくては。朝起きて相手との関係の中で起こるどんな小さなことすべてに対して君ができることは、それらに影響を与えようと努力することだけなんだよ。それでもできることには限界がある。世界は不平等で無意味で、暴力的な場所だ。そのためには、生き残るために最上の方法を試し、幸せを感じることだけれど、それでも人には幸運が必要なんだ。思っているよりもずっと多くのね。

確かにその通りかもしれない。ボリスのキャラクターには、そんなアレンの考え方が実にストレートに反映されている。

ウディ・アレン:周りでこんなことを言うのをよく聞くでしょう。“俺は自分で運を切り開いた”、でもそう自慢した同じ人が、家から一歩出て、誰かがピアノを放り出し、それがたまたま彼の頭上に落ちてきたとしたら。彼は運を切り開けなかったということになる。映画に登場する全員が、幸せで、頭がよく、目標を達成し、敏感でも、彼らはある限定された現実の中だけで機能していて、そのことに満足している。彼らの視点は地上に限られている。でもボリスはそうではない。彼は唯一他人が見られないものを見ている。彼は本当に天才だ。なぜなら彼だけが観客がそこにいるということがわかっているから。映画が上映されるとき、たとえ観客が一人だったとしても、彼らは見られているんだ。

観客は映画の登場人物を観るだけという安全な立場から、実は観客も観られているのだという、ボリスと観客の視点とのイマジナリーな“切り返し”は、映画スターがスクーリーンを破って出て来て観客の女性ファンと恋をする『カイロの紫のバラ』を想起するが、本作が与えてくれる幸福感は、観るものの心により現実的に影響を与えそうな、そんな説得力を持っている。『人生万歳!』は、ウディ・アレン、快心の傑作である。
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