OUTSIDE IN TOKYO
YOKO YAMANAKA INTERVIEW

山中瑶子『あみこ』インタヴュー

2. 母親はエリート志向だったので、幼少期は勉強勉強の毎日でした

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OIT:いつ位から、自分は映画を撮るんだと思っていたのでしょう?
山中瑶子:高校2年生の終わり位ですかね。一番最初に進路希望を提出するときです。
OIT:何かきっかけはありましたか?
山中瑶子:そもそも小学生の時から絵画教室に通っていて、ずっと絵を描いていたんです。もともと芸術に興味があったにも関わらず、中学生の時、目に見えない何かに負けて、美術部ではなくてテニス部に入ったんですよ。それは何かというと、俗に言う、スクールカーストとか、同調圧力とか。ずっと絵を習ってきたから美術部で絵をやれば良かったんですけど、テニス部に入ってしまって。テニス3年間続けながら絵もやってたんですが、結局は部活も不真面目で、絵を描くことも好きでなくなり…。それから、高校に入る時、もう絶対に運動部には入らないって誓っていたにも関わらず、また何かに負けて今度はバトミントン部に入ってしまった(笑)、その時こそもう美術部とか関係なく、部活にはもう入りたくなかったんですけど。でも再び間違いを犯したバトミントン部を、高校2年生の半ばで映画にハマってきたタイミングで、やめることが出来たんです。それは自分的には結構大きい出来事で、部活をやめてやったぞ!みたいな(笑)。それで時間ができたので、ずっと映画を見てましたね。母親はエリート志向だったので、私に良い大学に入って医者とかになってほしかったみたいで、幼少期は勉強勉強の毎日でした。その母親を納得させる必要もあったんですけど、映画って才能があるかどうかわかるのが、もうちょっと先なんじゃないかと思ったので、その方向でいけるかなと。すぐにはわからないじゃないですか?急に言い出しても構わないというか。音楽やスポーツの才能ってすぐにわかりそうだけど、映画は未知だったので。
OIT:面白いですね。ということは、ご自身の高校の時の経験や感情が、結構『あみこ』に入っているというところがあるわけですね。
山中瑶子:そうですね。心理的、精神的な部分は反影されていると思いますし、逆に自分が好きなものを、とはいえ、その頃はまだ自分が好きなものが何かっていうことが明確にわからない時期ではあったんですけど。でもだからといってわざわざ嫌いな運動部に入る理由もなかったわけで、そこはやっぱり自分があまり強くなかった部分だなあと思って、”あみこ”だったら絶対にそうではないなという憧れの投影みたいなところは大きいですね。映画の内容と具体的に同じ経験があったというのはないです。
OIT:『あみこ』のアオミ君が、サッカーをそんなに好きじゃないんだけど、部活に入っちゃって、でも続けてるんだよね~という人物造形でしたけれども。
山中瑶子:それは、キャラクター全員に私の身に覚えのある感情を分配していますね。瑞樹先輩も同じように。あみこだけがイコールわたしというわけではないです。
OIT:高校の時に映画に目覚めたということですが、それはどういう映画だったのですか?
山中瑶子:これだっていう分岐点になったのはホドロフスキーの『ホーリー・マウンテン』なんですけど、芸術の選択授業で美術をとっていた時に、先生が「君はこれを見たほうがいいよ」と言って貸してくれたんです。それまでは、監督の作家性っていう概念も知らなかったですし、監督で映画を見るっていう行為が自分の中になくて、パッケージで選んだり、聞いた事のある映画を見ていたわけですけど、ホドロフスキー以降は、監督の名前も覚えて、他の作品も見てみようってなった。そこから、デヴィッド・リンチを全部見てみようとか、見方が変わっていたので、映画を見る幅がどんどん広がりました。
OIT:映画を見て、その映画について何かを読んだり、ということはあまりしなかったですか?
山中瑶子:長野の本屋でカラックスの本とかを買ってましたね。

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