OUTSIDE IN TOKYO
LECTURE

エミリー・コキー「ジャン・エプシュタインについてのレクチャー」

4. アルバトロス撮影所の技術者たちは、撮影所に寝泊まりし、
 一日中ウォッカを飲んでいました

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『蒙古の獅子』 ©DR

これがアルバトロス撮影所のスター、イヴァン・モジューヒンです。私たちはベルリンのアーセナル(映画館)で、この20年代のスターの特集を組み、ほぼ全作品を上映したばかりです。当時はマックス・ランデールやルドルフ・ヴァレンチノに並ぶ有名俳優でした。ご覧のように、本当に素晴らしい目をしていました。なかなかのドンファンだったようで、モンパルナスのキキと熱愛したとされています。彼の書簡がモスクワに保存されているそうで、いつかモスクワに行き、読んでみたいと思っています。

『蒙古の獅子』(24)は、自国を離れ他国に亡命した白系ロシア人の歴史がよく分かる作品です。この映画では、ある一人の王子が独裁政権を逃れて亡命し、流行の地区であるモンパルナスで暮らします。中央の写真の左側にいるのが、モジューヒンの正妻、ナタリー・リセンコです。二人とも実に優美です。衣装は若干常軌を逸していますが、バレエ・リュスと合わせて考えると理解できるものです。20年代のパリでは多大な文化混交がおきており、特に多数のロシア移民がいたことを踏まえておくべきでしょう。バレエ・リュスを統率していたのはセルゲイ・ディアギレフでした。賢くもディアギレフは、多くの新人アーティストを雇いました。バレエ・リュスのさまざまな協力者のリストを検討すると、ソニア・ドローネ、ピカソ、ジャン・コクトー、エリック・サティなど20世紀の偉大なアーティストが含まれていることに気づきます。



バレエ・リュスの影響を受けた衣装 ©DR

私たちにとって、この作品をカラーで修復することはとても重要でした。写真でご覧になったように、鮮明な色、色調が使われています。この色調は、ソニア・ドローネが作った衣装に近い、前衛的なものです。このような問題はまだ十分に研究されつくしてはいませんので、ここに映画研究を志す学生の方がいらしたら、研究テーマとしてお選びになることをお勧めします。『蒙古の獅子』の撮影現場の写真では多くの技術者達がいて、いかにこの撮影所が大きなものであったかということが分かります。明らかに技術者たちは撮影所に寝泊まりし、一日中ウォッカを飲んでいました。

アルバトロス撮影所 ©DR

ナタリー・リセンコとジャン・アンジェロが出演している『二重の愛』(25)をご紹介したいと思います。この映画もエプシュタインにとっては奢侈の体験でした。細部を見ると、いかにショットがこっているかがわかります。特に右下のコマは、パンフォーカスの探求と装置の重要性をよく示すものです。すでに、この映画でエプシュタインは、特別な工夫をしてクローズアップを挿入しています。

『二重の愛』 ©DR

そして、アルバトロス時代の最後の作品は、エプシュタインの唯一のシリーズ物、最も長い連続活劇、25年の『ロベール・マケールの冒険』です。またこれはエプシュタインが作った唯一のコメディでもあります。ロベール・マケールという人物はバンジャマン・アンティエ(*Benjamin Antier)の戯曲「アドレの旅籠」(*L’Auberge des Adrets)から取られたものです。この戯曲はフランスでは一文化現象をなしていました。この人物は『天井桟敷の人々』(45)の中では、フレデリック・ルメートルとして再度現れ、ピエール・ブラッスールがその役を演じています。

『ロベール・マケールの冒険』 ©DR

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