エプシュタインの作品の第二の時期に進みたいと思います。その時期をわたしたちはラバルトを讃えて「第一の波」と読んでいます。1926年、エプシュタインは自分の会社フィルム・ジャン・エプシュタインを作り、完全に独立して働く事を決めます。もう撮影所の影響下で、命令に従いたくないと考えたのです。自社の製作で、結局4作をつくります。この4本は華々しい成功作、忘れがたい実験的作品となり、しばしば傑作と見なされていますが、彼の破産の原因ともなります。この時代の作品においては、エプシュタインはシナリオにもはや従わないという意図を持っていたという点が重要です。21年に「Bonjour cinéma」に自分が書いた文章を実践していると言っていいでしょう。「私が欲している作品では、何も起こらないわけではないが、たいしたことは起きない。心配なさらないように、間違うことはないから。もっと取るに足らない細部が、悲劇の音を暗示する。」
しかも、1921年のこの文章の中で、「音」について語っています。この時期のもう一本の作品が『6.5×11』(27)です。去年、修復され、エプシュタインが望んでいた通りのラストを再現することができました。こうして、今までになかったヴァージョンを私たちは上映することができるようになりました。
『6.5×11』 ©DR
この時期の作品は一大メロドラマで、ダンディでブルジョワ的です。しばしば男性が色々な所を放浪し、自分の人生の意味を探す物語になっています。特に『三面鏡』(27)という中編映画が、私は、エプシュタインの作品の中でも最高峰の作品だと思っています。そのテーマはスピードであり、3人の女性よりも自分の自動車の方を愛する男性の物語です。
『三面鏡』 ©DR
『アッシャー家の末裔』(28)はもうご覧になった人がいらっしゃると思いますが、この作品はエプシュタインとアベル・ガンスの友情によって支えられた作品です。ガンス夫人であるマルグリット・ガンスが主役のマデリーンを演じています。最終的には、アベル・ガンスがフランスでのこの映画の公開に携わります。エプシュタインは公開時にはすでに別の作品の撮影に入っていたからです。ブルターニュに行き、その地方に関する作品を撮り始めていました。エプシュタインがガンスに宛てた手紙を読むと、どれほどこの映画を作るのが難しかったかということが分かります。撮影のさなか、1921年1月16日の手紙です。
「親愛なる友人へ。『アッシャー家の末裔』はゆっくりと進みつつある。グリニエフだけを頼りに、良い結果に到達したいと思っている。彼との関係はよりはっきりしたもので、私は満足している(グリニエフは特殊効果、特にスローモーションの処理を手掛けたオペレーター)。レ・ジュルシュリンヌ(*Studio des Ursulines1925年創立の前衛映画の専門館)も私達を支援する準備ができている。ブラシャールは多忙でダメ、故にアルトーだ。グリニエフも承知した。結局、残された唯一の問題は、スタジオの問題だ。」
このようにエプシュタインはガンスの助言に従って、主役のアッシャーにアルトーを選ぼうかどうか迷っていたところでした。アルトーが出演していたら、まったく違った作品になっていたでしょう。結局のところアルトーは出演しませんでした。
『アッシャー家の末裔』 ©DR