OUTSIDE IN TOKYO
LECTURE

エミリー・コキー「ジャン・エプシュタインについてのレクチャー」

9. エプシュタインは映画とは時間であることを知っていました。
 そして、時間を切ることで新しい真実を生み出すことができる。
 その真実とは新しい現実であり、
 何か超自然的な奇跡のようなものです。

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『蒙古の獅子』 ©DR
最後に抜粋をいくつかお見せしたいと思います。『蒙古の獅子』からの抜粋です。1924年、実際のジョッキー・クラブで撮影された有名なシーンです。モジューヒンと共に、当時大流行していた、最も有名なナイトクラブに突入します。無声ですから、抜粋を見ながらお話ししましょう。ダンスのシーン、モンパルナスのキキの背中が見えます。この場面のエキストラは全員、20年代モンパルナスの有名人です。モジューヒンがお酒を飲み、飲み、また飲んでいます。この撮影の時は、振りをしただけではなかったようです。映画のストーリー上では、彼は自分が好きになってしまった女性を忘れようとお酒を飲んでいるのです。後ろにジョッキー・バーと書かれたポスターが見えます。一瞬、画家のスーティンも見えるのですが、コマを止めないとスーティンの顔が分かりません。この映画のようにアルバトロス時代に作った商業的な作品であっても、エプシュタインはこのようなぼけた映像を導入し始めていることがわかります。そして編集も相対的にスピーディーで、不規則です。もちろん、これは飲み過ぎたモジューヒンのヴィジョンだからです。

最後のシークエンスをお見せしましょう。パリの街路での部分です。二人がモンパルナスのジョッキー・クラブから外に出るのが見えます。エプシュタインの全経歴を通じて重要になる、スピードのシーンです。本当に素晴らしいパリの行程が続きます。リヴォリ通り。コンコルド広場。実際とは異なり、この方向に進むことはできません。奥に凱旋門が見え、シャンゼリゼ大通りを通っています。1924年当時としては、それまでかつてなかったような編集の仕方です。素早い編集。ほぼ抽象的な映像、そして二重写し。モジューヒンの顔、途方に暮れた顔をしています。自国を去り、亡命先でどうすればよいのかわからない状態だったこの世代のロシア人達の雰囲気がよく出ています。

『海の黄金』 ©DR
もう一本、ブリュノ・デュモンが来日の際にご覧になったかもしれませんが、『海の黄金』の抜粋をお見せします。本当に感動します。無名のアマチュア女優なのに、ルノアールの映画の女優と同じくらい感動的です。おそらく演出についても、資料があるので確実なのですが、「ここに立って」とか、「手を取れ」とか、「空を見ろ」程度のものだったのが、このような結果を生み出したのです。

『アル・モールの歌』 ©DR
『アル・モールの歌』の抜粋をお見せします。この作品は“ブルターニュの詩”の中で結局は最も商業的な作品でしょう。エプシュタインが最も多く予算を得た作品です。ブルターニュ語で撮影され、ウエスト・エクレール(L’Ouest-Éclair)という新聞社が共同製作に入り、資金を提供しています。当時よく読まれていた新聞だったのです。キャスティングの中にはプロが一名入っていました。歌を歌う主人公を歌手が演じていたのです。今まではフランス語の字幕がついておらず、フランスでも観客はブルターニュ語が分かりませんので、全く理解できませんでした。しかしわかる必要はありません。実に独特の雰囲気がある、ブルターニュ地方の民謡へのオマージュです。間もなく存在しなくなるものを撮影していることをエプシュタインは意識していたのでしょう。

空を見上げるエプシュタイン ©DR
最後の言葉はブリュノ・デュモンに語ってもらいましょう。

「私の考えでは、彼はフランス映画の中で重要な位置を占めています。本当に演出という面で見ればフランスの巨匠だと思っています。主題に関しては、私は背後にある哲学については語らないことにします。つまり、彼の著作を読むと、本当に深い考察を映画について行っていることがわかります。本当に力強く、つきつめた探求をしています。そして映画自体についても同じです。カット割りにしてもショットの作り方にしても、不可視の何かを到来させるものです。本当に素晴らしいものを出現させるのです。著作を読むと、彼の才能に魅了されます。映画を作り始める前から映画についての絶対的に素晴らしい言説を持っている。すなわち、カメラとは何なのかということを理解していたのです。どのようにカメラが物の本質を変えることが出来るのかが、彼は分かっていました。カメラは時間を変えます。エプシュタインは映画とは結局は時間であることを知っていました。時間を切ること、これがカット割りの原則です。そして映像をスローにし、また二重写しにすることで新しい真実を生み出すことができる。その真実とは新しい現実であり、何か超自然的な奇跡のようなものです。例えば微笑み始める顔の動きを捉える時、それは微笑みよりも、唇が作る動きの時間的な長さを捉えています。それができるとは、実にすごいことです。しかも彼は自分自身の仕事を批判する鋭さを備えていました。また同時に、最初の作品においてはプリミティブなところがあります。ただしプリミティブという言葉は、例えば「Bonjour cinéma」の中で彼自身が規定している意味でのことですが。この本は彼が映画を作り始める前に書かれたものなのに、その中では、彼はすべてのことを言っています。彼は傑出した映画観を持っていました。我々はみな彼の後について行くことになるのです。例えば、ロベール・ブレッソンが後に行う煽りのカット、そうしたもの全てが20年代の彼の中にあります。全てのショットがそこにあります。しかし奇妙なことに、それを誰も語らないのです。彼は当然の地位を認められていません。本当の意味で天才的です。つまり、本当にこの芸術が何かを分かっており、同時に映画の実践をしたという点で天才的なのです。単なる知識人で、片隅で映画とは何かを書いているだけの人ではない。彼は映画を実践しています。

特に魅了される点は、この人がもともとはダンディで社交的、純粋なメロドラマを作っていた映画作家だったことです。『二重の愛』は、本当のメロドラマです。音が無い1時間半なのに素晴らしい表現力です。メロドラマですからストーリーなどはどうでもいい。音楽もなし、音もなしという条件下で、いかに彼は登場人物の心の中に私たちを入らせるのか、私たちに人物を感じさせるのか、一瞬も目が離せません。大したものは使っていない。単なるカット割りや編集でそれに成功しています。ダンディの単純なストーリーがあるだけで、それを十分実現しているのです。同じく初期、20年代のブルジョワ映画においても、必ず海のショットが出てきます。海のショットは、ストーリーの上に二重写しになります。そして後のブルターニュ時代の映画を見るとどのように、エプシュタインがそこに至ったのかが分かります。既に20年代から、風景の持っている神秘的な力を感じていたのでしょう。どのように風景が感情を表象出来るかを予感していたのです。そして風景の持つ示唆力は、初期の作品においてすでに存在しています。つまり、パリのブルジョワの登場人物の中に入るために、エプシュタインは自然を探し求めます。愛や情熱や嘘を説明するために、田舎の風景を求めるのです。ですから彼がブルターニュの作品に向かっていったのは、当然のことでしょう。エプシュタインに関して、私はよく、画家のブラックのことを思い浮かべます。どのようにブラックがキュービズムからシュールレアリズムを経て、結局、晩年にはノルマンディの小舟だけを描いていたのかを考えます。エプシュタインもまったく同様です。ほとんど半分くらいしか正しい話し方をしないブルターニュ人の俳優を使い、ブルターニュの物語を語るという単純さに彼は至ります。けれども、それが美しいのです。」

話を聞いてくださったことにお礼を申し上げます。エプシュタインを皆様にご紹介出来たことをとても嬉しく思います。「喜んで」(この部分日本語)お話させていただきました。

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