OUTSIDE IN TOKYO
Adan Jodorowsky INTERVIEW

アダン・ホドロフスキー『エンドレス・ポエトリー』インタヴュー

2. 『サンタ・サングレ』を撮影している時に両親が別れたので、
 私は父親についていったのです

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OIT:ピエロの役などは、やはり作っていったのですね。
アダン・ホドロフスキー:あの役柄自体は特に作ったというものではなくて、小さい頃からチャップリンやバスター・キートンの映画が好きで、いつも真似をしていたり、『サンタ・サングレ』の時に、ピエロ役を演じた俳優とかが色々と教えてくれていたり、そもそも父親が家の中で始終ピエロを演じていましたので(笑)、本当に自然に出来てしまったのですが、それを見て、父親も凄くびっくりしていました。父親は、私の人生で出会った中でも一番面白い人で、いつも私を笑わせてくれていました。

OIT:お父さんとは、ずっと近い関係で暮らしてきたのですか?
アダン・ホドロフスキー:8歳の時に両親が別れたのです。まさに『サンタ・サングレ』を撮影している時に両親が別れたので、私は父親についていったのです。

OIT:なるほど、そういうことだったのですね。今回、お父さんから演技に関して、特に演出を受けることはありましたか?
アダン・ホドロフスキー:そうですね、細かい動きに関しては決められていて、あとは“自由に”という感じだったのですが、自分も脚本を読んでいますから、そのシーンの撮影の前日にホテルの部屋で、このシーンではこういうことをやりたいという演出の意図を聞いて、位置関係や動きも聞いていたのですが、いざやっていいよと言われてやってみると、良いときは良いのですが、何かが違っていると、そうじゃない!そうじゃない!って怒鳴られるんです。自分は結構感じやすい人間で、怒鳴られるのは好きじゃないので、解決策として、兄のブロンティスに仲介に入ってもらって、そうじゃないということをブロンティスに言ってもらい、ブロンティスから私に伝えてもらうという方法を取りました。

OIT:直接は言わせないと。
アダン・ホドロフスキー:父はブロンティスに、そうじゃないだろー!って怒鳴って、ブロンティスは私に、優しくその内容を教えてくれるというわけです。

OIT:映画では、父親のハイネは強権的な父親だったわけですが、実際はハイネを演じたブロンティスさんはとても優しい方で、かつて強権的な父を嫌っていたアレハンドロさんご自身が現場では強権的に振る舞っていたということですね。
アダン・ホドロフスキー:まさに(笑)。彼は、映画を監督する時はいつも、自分は独裁者であって軍隊を束ねなければいけない、と言っていますから。僕らは親子ですから、言うとなると思い切りぶつけてくる、普通の人たちに対するよりも、自分に対する当たりはかなりキツかったんです。僕はその度に、怒鳴らないでくれ!って言い返していたので、周りのスタッフたちはすっかり引いてしまって無言で見てましたね。

OIT:アレハンドロさんは、撮影の現場では独裁者だったけれども、ご家庭ではそうではなかったと。
アダン・ホドロフスキー:映画以外の時は本当に優しくて、一度も怒鳴られたことはありません。

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