OUTSIDE IN TOKYO
Adan Jodorowsky INTERVIEW

アダン・ホドロフスキー『エンドレス・ポエトリー』インタヴュー

3. アレハンドロは、フェリーニがニノ・ロータを見つけたように、
 今では、アダンが私のニノ・ロータだと言ってくれています

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OIT:ホドロフスキー監督作品で音楽を担当されたのは、『リアリティのダンス』からですね?
アダン・ホドロフスキー:そうです、アレハンドロの映画の音楽を手掛けたのは『リアリティのダンス』からなのですが、その前に『AMADOR』(10)というアルバムを僕が出していて、アレハンドロは、そのアルバムの中に入っているバイオリンを使った曲を聴いて、今回はリスクをとって息子に任せてみよう、せっかくミュージシャンをやっているんだからということで抜擢してくれた。それで作った音楽を聴いて、俺の期待を裏切らなかった!って言ってくれたのです。父親としては、リスクをとったと思っていたにも関わらず、結果的に上手く行ったものだから、お前なら出来ると思ってたんだって言うんですよ。実際にプロデューサは、本当に大丈夫なのか?と疑っていたようだけど。

OIT:その後は豹変したと。
アダン・ホドロフスキー:今やプロデューサーも納得してくれているので、今回の『エンドレス・ポエトリー』の時はすんなり話が進みました。

OIT:音楽はどのように作るのですか?出来上がった映像を見て、それに合わせて作るのでしょうか?
アダン・ホドロフスキー:『リアリティのダンス』の時は、全ての映像が出来てから、父親が編集している時、この場面に音楽が欲しいと言って来た場面に対して音楽を作るというやり方でしたが、『エンドレス・ポエトリー』では、2ヶ月間毎日、冬のチリで朝6時から撮影で、ずっと自分は現場にいて、演じたりする中で音楽が生成されていくという形でした。作曲に結構時間が掛ったのは、前回よりもより良い音楽を作るという使命もあったし、仮で充てていた音楽がドビッシューだったので、それと同程度の音楽を提供しないと納得してもらえない、元の曲の方が良かったな、なんてことを言われないように、自分の曲の水準を引き上げるための挑戦を強いられたからなのです。

OIT:具体的には、そのシーンを映像で見て、それに合わせて作るという感じなのですか?
アダン・ホドロフスキー:まず最初に編集スタジオで、編集担当の人と自分とで話をして、その後で父親が、ここからここまで音楽が欲しい、ということを言ってくるのです。その時に唯一言われるのが、このシーンで、この長さということなのですが、あとは、悲しい時には明るい音楽、明るい時には悲しい音楽と対比するように作ってほしいということでした。それで作ったものを持っていって、父親が気に入れば、それをはめるという感じでした。

OIT:アダンさんが音楽を作る前から、ホドロフスキー監督の作品はとても音楽が素晴らしかったですよね。
アダン・ホドロフスキー:やはりアレハンドロのスタイルというものがあると思うので、特に『ホーリー・マウンテン』の音楽は繰り返し何度も聴きました。自分は凄くシネフィルで60年代の映画を沢山見るのですが、その監督たちが、同じ監督なのに80年代、90年代になると音楽がみんなシンセサイザーで作ったものになってしまって、音楽の質が全然違ってきてしまうんだけど、アレハンドロの映画に関しては、そういうことをしてはいけない、常にオーケストラを使って、常に本物の音が出るもので音楽を作らなければいけない、それがスタイルとして脈々と続いていなければいけないというのが自分の考えです。加えて、アレハンドロ・ホドロフスキーはもう映画史の中に入ってしまっているので、それを汚す事は出来ないという責任を自分は凄く感じていて、その事が自分にとっては一番厳しい挑戦だったかもしれない、というのも、ずっと脈々と続いてきたクオリティを自分が崩してはいけないし、ちゃんとした尊厳のある作品にするために音楽はそれ以上に素晴らしいものでなければいけないと思っています。アレハンドロは、フェリーニがニノ・ロータを見つけたように、今では、アダンが私のニノ・ロータだと言ってくれているのです。

OIT:素晴らしい、まさに黄金カップルですね。
アダン・ホドロフスキー:アレハンドロもそう言ってくれます。

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