OUTSIDE IN TOKYO
MIYAKE SHO INTERVIEW

青山真治『共喰い』インタヴュー

5. 遠馬の生涯は戦争の影響から未だ抜け出れてないということははっきり出したつもり

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OIT:分割画面はさすがにでも。
青山真治:ちょっとね、まだ抵抗がありますね、やりたいことは確かなんですけど。やっぱりやるとなったら、ちょっと本気でかからないとなっていうのがあって。

OIT:二分割ぐらいじゃすまないとか。
青山真治:そうですね、あと分割でアクション繋ぎっていうのがやっぱり最高ですからね。分割しつつ、アクションに繋がっていくっていうのが、それをやらないとなんで分割画面なんかやるんだよっていう。

OIT:これはよく聞かれると思うんですけど、『Helpless』(96)との近親性というか、監督は多分、姉妹編的と仰ったかもしれないんですが。片腕とか、時代がちょうど1989年とか、内容的にもかなり近しいですよね。
青山真治:いや、『共喰い』(の舞台)は88年で、『Helpless』が89年ですね。

OIT:(『Helpless』は、)89年の9月10日でしたね、いずれにしても昭和の終わりの時代ですね(とはいえ、昭和最後の日、89年1月7日の以前と以降では設定の意味が大きく違う)。(原作者の)田中さんはひょっとして『Helpless』をご覧になっていたのでしょうか?
青山真治:『Helpless』はご覧になってないようですね。

OIT:ああ、そうなんですか、じゃあ全くの偶然という。
青山真治:そうなんです、偶然なんかこう89年と88年の話で、下関と北九州で。だからまあ表裏一体的なものだった、なのですぐにそのことは思って、ああこれは他のやつにはやらせたくないなっていう思いが出来た。

OIT:昨日、ロカルノ映画祭で監督が参加したフォーラム(http://www.pardolive.ch/Pardo-Live/pardo-live-tv?v=http://vod.pardo.ch/jpardo/perm/6800/452/OC715180_P6800_179452.mp4)をネットで見たんです。そこで監督が、男性性に対する女性の一つの闘い方を描いた映画だと思うということを仰っています。それがフェミニズム的視点という言葉でも語られていると思うんですが、そのことはある程度、監督が今まで映画でやってきたこととも繋がりがある、その女性の闘いの描き方に共通するものがあると思うんですけど、それが『共喰い』のテーマとずばりマッチしているんですね。
青山真治:そうですね、それは荒井さんからも出た部分なんですが、『サッドヴァケイション』以降、これ言っていいんだろうか、『サッドヴァケイション』、『東京公園』も複数の女性達が共闘して一つの世界を作り上げる、男達を排除とまではいかないけど、男達を無視して作り上げる空間みたいな、それがこの原作にもあったっていうことですね。そこを荒井さんが更に、原作から増幅してくれたっていうのが映画版の『共喰い』っていうことになると思うんですね。

OIT:映画は、女性達がこういう風に闘った、それによって遠馬の未来がちょっと救われたっていう風に見えるのですが、フォーラムで監督は、ひょっとしてそれは性が変わっただけで、それから先がまだあるのかもしれないということを仰っています。
青山真治:父親の父権から解放されて母権の中に回収されたのに、じゃあこいつ本来の一人のインディペンデントな生活は、それでいいのかっていうことを残して終わるという形になってる気がするんですよね。こいつがこの女性達の中から漂い出る時に、本当のこいつの生活というか人生が始まるんじゃないかという風に僕は思ってこのラストを受け入れたんですけど。今はまだこいつは女性達の空間に収まってる、そこから外にどうやって出るかっていうのはまた次の映画になるんだろう。

OIT:それは例えば自由とは何かということだったり?
青山真治:うん、まあ、こいつにとって自由とは何かっていうのは、こいつが本気で考え始めた時にそれが起こることなんでしょうね。

OIT:先日、チミノの『天国の門』(80)を観て、まあ凄い映画だったんですけど、(19世紀末から)20世紀初頭ぐらいの話で、一つの時代の終わりを描きつつ、本質的なアメリカの暴力性を描いていて、それはそこで終わってない、その後も続いていくっていうところが、この『共喰い』も戦後の時期を描いているけれども、それが未だに終わってないっていうところが、全く一緒だなと思ったんですけど。
青山真治:(クリス・)クリストファーソンの場合は結果的に自分の階級から抜け出ること出来なかったっていう終わり方をしてますけど、つまり彼の人生は階級に縛られてると、『共喰い』について言えば母親がああいう形で手を無くしてるっていうことで、戦争というものの影響下にまだ居続けているっていう、それが父権から母権に変わっただけで、彼(遠馬)の生涯は戦争の影響から未だ抜け出れてないということははっきり出したつもりです。だから僕の作品は常に、『東京公園』はそういうところが殆ど無かったですけどね、多かれ少なかれ戦争と影響下にある人間、それはずっと描いていくつもりですし、今までも描いてきたつもりですし、これからも描くことになると思います、そこは僕は逃れられない(笑)、僕自身が逃れられないところがある気がしてます。
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