OUTSIDE IN TOKYO
MIYAKE SHO INTERVIEW

青山真治『共喰い』インタヴュー

7. 弱ったなって感じですよね、そんな遺言残さないでって

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OIT:今回の『共喰い』は、青山監督のお母様に捧げられたものですね?
青山真治:はい、そうですね。

OIT:これもフォーラムの会見で仰っていたことなんですが、お母様は反戦思想の方だったと、そうしたお話は様々な機会に出てくるものでしたか?
青山真治:そうですね、教育者だった、学校の先生だったんで、学校でそういうことを喋る機会が多かったですね。生徒の前でもそうだし、教員達の集まりでも、どのように、そういう反戦教育をやっていくかっていうようなことを、両親共にそういう教師だったんで、食卓でもずっと喋ってた、そういう家庭だったんですよ。

OIT:政治のことも?
青山真治:はい、経済は全然分かんないですけどね、政治的な問題とか、全て教育ですよね。学校教育におけるそういう考え方をどう展開していくかっていうことがメインでしたね、自宅の話題といえば。

OIT:それは監督が小さい時から、もう分からなくてもそういう感じで?
青山真治:ええ、ずっとそういう話が続いてた。

OIT:じゃあ自然とご自分もそういう風に。
青山真治:そうですね、その影響下に確実にいますね、やっぱり未だにそういう風に考える。

OIT:(nobodyのwebサイトに)梅本洋一さんが書かれた文章(http://www.nobodymag.com/heibon/?q=node/121)で、大島渚を継ぐのは、というようなことが書かれていて。
青山真治:(笑)弱ったなって感じですよね、そんな遺言残さないでって。

OIT:でも、まあそうかなという風に、ご自分でも思いませんか?
青山真治:まあ、だから大島ほどあからさまなメッセージを発信していくつもりはあんまり無いんですけど、ただ作れば当然そういうものが見え隠れするようなものを作っていくだろうなとは思いますね。

OIT:そうした反戦思想が、(あからさまな“反戦映画”という形以外で)日本の映画作家から、日本の映画から発信されるっていうのは、それこそ珍しかったのではないでしょうか?それが大島渚以来のことでしょうか。
青山真治:かもしれないですね。

OIT:ですよね。これからより明確な形でそういう作品がひょっとしたら増えていくのかなっていうのを、フォーラムでの監督の発言を聞いてちょっと思ったんですけど。
青山真治:まあ、僕自身はそういうことをやったり、やらなかったりしながら進んでいくんでしょうね。
緊張感を以て臨んだ取材、そういう時に限って、(事前にチェックしていたにも関わらず!)取材を始めた瞬間にレコーダーの電池が切れ、現場で新たに調達した電池が、今度は、取材終了時間間際に切れるという、情けなくも、ぎりぎり悪運の強い事態を招いたインタヴュアーに対し、鷹揚さで応えてくれた青山真治監督に、この場を借りて感謝申し上げます。


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