OUTSIDE IN TOKYO
ENDO MAIKO INTERVIEW

遠藤麻衣子『TOKYO TELEPATH 2020』インタヴュー

2. 『KUICHISAN』の時は、作った映像を上映しながら、
 生演奏をしてサウンドトラックを作り、それをさらに切り貼りしてスコアを作った

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OIT:編集のプロセスに、『KUICHISAN』と『TOKYO TELEPATH 2020』の間で変化はありましたか?
遠藤麻衣子:元のプロセスは一緒ですね、いつも私は編集する時は音も画も同時に編集するという所が、普通の場合と違うのかもしれません。“音を担当する人”も自分でやってしまうので、画も編集しながら音も全部組み立てていくっていうやり方です。『KUICHISAN』の時にちょっと違ったのは、ある程度までいったところで、映画を一回上映しながら私とサウンドデザイナーの人が、その画を見ながらライブ演奏して、自分達でライブサウンドトラックを作った。それをまた切り貼りしてスコアを作ったっていう作業もしました。

OIT:作品を拝見して、音の印象が強かったもので、最初に音について少しお話を伺いましたが、これから作品についていくつか具体的な質問をさせてください。『KUICHISAN』というタイトルにはどういう意味があるのでしょうか?
遠藤麻衣子:二つあるんですけど、一つの理由は公にはしていません。もう一つの理由は、主人公、一見お坊さんみたいな感じで、一休さんっているじゃないですか、一休さんの場合は凄くとんちが利くけど、この少年はとんちが利かないから反転して九一さん、文字は違いますけどね。
OIT:なるほど、面白いですね。この少年がとんちが利かなくて、周りの子供たちからもちょっと浮いているっていう設定は最初から考えていたものですか?
遠藤麻衣子:この少年のキャラクターがあって、あと12人の子供たちがいる、そこには、ある種の関係性があるけれども、別に敵ではないんですね、たまたまなのかわかりませんが、この12人の子供たちはみんな沖縄の子なんです。でも主人公の少年は沖縄に住んでるけど、両親は東京の人です。少年は、ずっと沖縄で育ってるんですけど、実はルーツは少し違うというか。自分の構想の中では、もともとこの二つの要素があって、この映画があるっていう構成ではありました。
OIT:ショーン・プライス・ウィリアムズが撮影した画の中には色々なものが写り込んでいます。敢えて写そうとしなくても“基地”なんかは沖縄にいればすぐ目に入ってくると思いますけど、そういうものも当然入っています。そこには何か政治的な感覚もあったのでしょうか?
遠藤麻衣子:やっぱりそこにあったから入れたというのはあります。戦争についての問題意識から取り組んだというものではありませんが、その人達の生活とか生きてきた歴史の中にもそれ(戦争)がある。だから沖縄に行く前にリサーチとかは全然していなくて、行ってから現地の人と話してそれがどういうものであるのかっていうところから汲み取っていって映画を作ったっていう感じですね。

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