OUTSIDE IN TOKYO
HYUNRI & M. YAMAMOTO INTERVIEW

山本政志監督の新作『水の声を聞く』は、熊楠的世界観への回帰を感じさせながらも、猥雑な俗世の地に足をつけ、時代の閉塞状況と正面から向き合った映画作家の未来への意志と迫力を感じさせてくれる力作である。自称”アホ映画”路線を突き進んできた山本政志監督が、韓国の”済州島四・三事件”といった社会性が強いモチーフを正面から扱ったのは、このインタヴューで監督が語ってくれたように、確かに初めてのことなのかもしれない。しかし、山本政志監督の初期作品をある程度見てきたものにとって、それは左程意外なことではない。なぜなら、ロンドンで産声を上げたパンク・カルチャーは誕生の瞬間から、イギリス階級社会へのアンチとしての政治的ステイトメントの色合いを帯びていたし、初期山本政志の映画も日本のインディーロック、パンクシーンと密接な関係にあったからだ。

その荒ぶるパンク魂が日本的、アジア的風土の中で行き着いたのが南方熊楠の世界観ではなかったか。熊楠の生涯を描こうとした映画『熊楠 KUMAGUSU』はしかし、今回のインタヴューでも語られている通り、未だその全容を表していない。私たち観客が辛うじて目にする事ができるのは、未完成の『熊楠 KUMAGUSU パイロット版』(91/28分)に留まっている。新作『水の声を聞く』が殊更興味を惹くのは、『熊楠 KUMAGUSU』への跳躍を感じさせるテーマがそこかしこに顔を覗かせているからかもしれない。そして、決定的なのは、主人公である宗教団体の巫女ミンジョンを演じる女優玄里(ヒョンリ)が素晴らしいということだ。『闇のカーニバル』(82)、『ロビンソンの庭』(87)の太田久美子や、『スリー☆ポイント』(12)の「京都」編の平島美香といった、野性味溢れる魅力を放つ女性像に加えて、ある役割を”演じる”ことから真実の”祈り”を発見していく、凛とした佇まいの現代女性像という、山本政志映画の新たなる”女性主人公”の誕生を祝福したい。この主人公の誕生は、実際に玄里という女優が存在しなければありえなかったことは、監督も既に色々なところで語っていることだ。

OUTSIDE IN TOKYO は、その魅力的な女優玄里さんにインタヴューすべく、本作が実際に撮影された現場でもある「シネマインパクト」のオフィスを訪れた。するとそこには、山本政志監督がたまたまいたのである。すかさず、監督の『ロビンソンの庭』は大好きな映画です、とその場で同席をお願いし、玄里さん、そして、丁度今、監督作品全集「メガ盛MAX山本政志」が上映中の山本政志監督のインタヴューが実現した。インタヴューは、とても率直な発言が飛び交う、自由闊達なものになった。一部には過激な発言(その全ては山本政志監督によるものだが)も散見されるかもしれないが、目くじらを立てずにお付き合い頂ければ幸いである。

1. 今の時代の閉塞状況を救う道筋を、
 自分なりに探りたかった(山本政志)

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):『水の声を聞く ープロローグー』は拝見しています。完成した本作と比べると大分印象が違う作品だと思いました。韓国の“済州島”の話は『〜プロローグ』にはなかったですね?
山本政志:『〜プロローグ』の時は、韓国済州島出身の主人公という設定だけは考えてたんだけどね。ただ、それがどうなっていくっていうことは、その時点では全くわからなかった。彼女はいつ頃韓国にいたんだろう?お母さんはどうだったんだろう?お婆ちゃんはどうだったんだろう?お婆ちゃんがいた年代を調べていったらあの事件(済州島四・三事件)があった、時代設定を考えると、丁度あの事件から逃げて来たという設定にハマる。だた、自分の今までの映画作りでは、ああいう社会問題っていうのは一切触れて来なかった。初めてなわけです、自分としては。ただ、それを外すと(映画として)成立しないところがあるから、これを取り込んでいくことになった。それをひとつの“祈り”という視点から考えると、映画の大きな土台になってきた。
OIT:そもそも、なぜ、エセ宗教の話を撮ろうと思ったのでしょう?
山本政志:とにかく、今の時代の閉塞状況っていうのはひどいでしょう、俺が映画を始めた1979年位もひどかったけど、それから暫く、物事そこそこいい感じに回ってるとこもあるって思ってたんだけど、今は違う。特に3.11の福島以降、ヤバいじゃん。だから、自分が言うのはおこがましいんだけど、何とかこの状況を救う道筋を、自分なりに探りたかったということがあった。それが“祈り”と直結しちゃったというところがある。まあ、自分がやるわけだから、“キリスト”が出て来たりするわけにはいかないし、正攻法でやってもしょうがないから、もっと俗っぽいところから、人間の欲望が絡んで、非道い人たちだなあ、みたいな人たちも全て含めて、そういうところからの救済というものをやろうと、そうだとすると、露骨に言えば、エセ宗教という形から行こう、と思ったのかも知れない。
OIT:『〜プロローグ』を拝見した時は、熊楠的に“思考する”映画になるのかなと思ったのですが、完成した本作は、もっと俗っぽい世界に降り立って、生々しい人間的なドラマの世界を撮ったんだなという印象を受けたのですが、何かその間に監督の中で変化が起きたのでしょうか?
山本政志:いや、変化はないよ。『熊楠KUMAGUSU』も“思考する“映画じゃないし。『ロビンソンの庭』(87)の後からは、エンターテイメントの匂いもする形で、ドラマ的構成を持った中で作る方向に向かってる。『熊楠・KUMAGUSU』もそうだったしね。『ロビンソン〜』のような抽象的な映画を撮って、インテリやヨーロッパに支持されて吐き気がしてきちゃって、違うだろ、俺は!そんなちっちゃいところで映画撮る気ねえよ、と思って『てなもんやコネクション』(90)を撮ったでしょ?一気に“アート”からアホ映画へ行ってみたんだけど、ヨーロッパ的、造形的なものとか、見方を思索し過ぎるというか、そこじゃない方向というのは意識的に持っているね。タルコフスキーなんかは大好きなんだけど、タルコフスキーの宇宙観っていうのは素晴らしくて、映像的に本当に力がある。魂が有る。素晴らしいけど、自分はそこには立てない。宇宙っていうのは平等で、どんなバカにも宇宙の光っていうのは降り注いでいるよね。それはもう、例えば、恐喝23犯の奴と、マザーテレサでも、宇宙の光っていうのは同じように降り注いでいると思うから、じゃあ、自分はどこから見ようかというと、自分は俗っぽいところからやっていきたい、みたいなものがあるんだよね。
OIT:そこはもう、やれること、やりたいことが感覚的にそうだということなんですね?
山本政志:そうだね、そう思うね。もちろんその中で、緑のことであるとか、自然であるとか、そういったものは凄く好きで、見たいと思うんだけど、しばらくその題材とね、向き合っていなかったので。

『水の声を聞く』

8月30日(土)より、オーディトリウム渋谷にてロードショー

監督:山本政志
プロデューサー:村岡伸一郎
ラインプロデューサー:吉川正文
撮影:高木風太
照明:秋山恵二郎
美術:須坂文昭
録音:上條慎太郎
助監督:野沢拓臣
編集:山下健治
音楽:Dr.Tommy
出演:玄里(ヒョンリ)、趣里、村上淳、鎌滝秋浩、中村夏子、萩原利久、松崎颯、薬袋いづみ、小田敬

日本/2014年/129分/HD
製作:シネマ☆インパクト

『水の声を聞く』
オフィシャルサイト
http://www.mizunokoe.asia

「メガ盛MAX山本政志
-山本政志監督作品全集-」
http://a-shibuya.jp/archives/
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