OUTSIDE IN TOKYO
JIA ZHANG KE INTERVIEW

ジャ・ジャンクー:オン『四川のうた』

3. フィクションとノンフィクションが同居する映画

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これはフィクションとノンフィクションの話ですが、ジョアン・チェンを含め、4人の役者を知っていると、ある種の緊張感を持って、どこまで一般の人に肉薄できるのだろうと、少しどきどきしながら見ていましたが、世界の観客には、彼らが俳優であることを知らない人たちがいます。そんな観客の二層化狙いだったのでしょうか。
正直、そうした二層化は想定していませんでした。ジョアン・チェンはハリウッドを初め、『ラスト・エンペラー』にも出ており、チャオ・タオは私との仕事が長いので、他の役者よりもヨーロッパで知られているかもしれません。なるべく中国国外でも知られている人を起用したつもりですが、それでも知らない人もいると思います。でもそれ自体は私が映画で伝えたいことに大きな影響はないと思います。それよりも、フィクションの部分のよさは、100人近くを取材しても100人分を使うことはできないため、それを一度フィクションとして起こし、数人に、自分がこれだと思う濃縮したエッセンスを伝えてもらえることです。
(あとは)労働者の語りが中心です。フィクションの人はたくさん入れませんでしたが、子供を亡くした母親が点滴を持ち歩いていたり、その人の生活が垣間みられるようにしました。ジョアン・チェンの演じる役も劇の練習をします。最後に車を運転する女性も、今の人がどのような生活をしているのかが少し見えるようにしました。でも労働者はオーソドックスな語りに委ねたので、会話中心にしたのは間違いないです。

今回そうした4人の俳優を迎えて作った物語は、現実の取材の中からヒントを得て作られたものなのでしょうか、それともまったくの創作の物語でしょうか。
(先ほどのように)最初にこの作品に取り組む時、単にドキュメンタリーを撮ろうとしていました。最初フィクションの部分は考えず、ふたつの構成で考えていました。ひとつはインタビューをしていくこと。そして彼らに50年代からの生活の変遷を語ってもらおうと思いました。もうひとつ、<420工場>という国営工場は3万人の労働者に、彼らの家族を足した10万人がいるのですが、それだけ大きな、公にされない機密企業が、2007年に大きな不動産業者に買い取られることによって取り壊されていく、工場自体が取り壊されて新しい建物が建つところを撮ろうと思いました。ただ、どんどん撮影していくうちに、色々なイマジネーションが沸いてきたのです。段々、自分の中でフィクションと記録の両方が必要ではないかと思ってきました。そもそも歴史は、ある意味では記録で残されており、ある意味では後世の人々の想像力で残されている部分も多いのではないかと。

僕が一番に思い出すのは、『三国志』」と『三国志演義』の例ですが、『三国志』は歴史の記録でこういうことが起こったと記載されているが、『三国志演義』というのはそれが小説化されたものです。だから歴史というのはひとつには記録で、ひとつには想像力で補われたもの。それによってかつての物事を残していくものなのだと思います。この作品を撮ると決めた時に、名の知れた役者を起用しました。それによってこの話は明らかにフィクションの部分、ドキュメンタリーの部分ということが最初から分かるように観てもらおうと思ったからです。

まず、リュイ・リーピンという役者は、子供を亡くしてしまった母親を演じましたが、もともとその話は工場で実際にあった出来事です。工場にインタビューを始めた当初に、一番多くの人からこの話を聞かされました。「知ってるかい?58年、一番最初にこの工場が四川省にできる時、最初の犠牲になったのが子供なんだよ」と。すぐに私はこの役を彼女にやってもらおうと思って電話しましたが、出演を断られました。
ジョアン・チェンが演じた上海から来た女性は、インタビューした中で20人ほど、上海から来た女性がいたのですが、その人たちの話を色々取り込んだのが彼女の話です。
チャオ・タオが演じた女の子の役はフィクションです。この映画に出てきた労働者の方の次世代の話です。彼女たちに演じてほしいとオファーしたが、みんなに断られてしまった。
女優たちが何を心配したかと言うと、「自分は役者だから、あれだけ労働者の人たちのリアルで自然な経験を語ることは出来ないだろう。自分の経験を語るわけではないのだから」とみんな心配しました。そんな彼女たちを、「登場人物のような自然さ求めて同化する必要はない。これは明らかにフィクションとして撮るのだからそれは心配ない」と説得しました。自分は歴史を振り返る時に、フィクションとドキュメンタリーと両方の部分を撮りたいのだと言った。彼女たちも心配だと言いながらチャレンジングな仕事だと非常に興味を持ってくれた。彼女たちの演技は、話を語るだけのもので、そんな演技をする機会はなかなかない。彼女たちは出演してくれ、結果的にとてもクリエイティブないい仕事をしてくれたと思っています。

特に印象深いのは、ジョアン・チェンで、彼女自身に似ている女性の役をやってもらった。彼女がデビューした18歳の時の映像を流して、50歳くらいの今の彼女と同時にその映像を流そうという提案におおらかに応えてくれた。非常に勇気のいることだと思いましたので、感謝しましたし、感心しました。

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