OUTSIDE IN TOKYO
JIA ZHANG KE INTERVIEW

ジャ・ジャンクー:オン『四川のうた』

6. 中国近代化の歴史を描きたい

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6

カンヌ国際映画祭の記者会見の中で、この映画で中国の労働者の歴史を、労働者の視点から中国の社会が変遷していく過程を描こうと思ったと仰っていましたが、撮り終えてみて、中国の社会や経済に対してどのようなものが見えてきましたか。
この作品を撮り終えて感じたことは、歴史に関することで、経済や政治ではありませんでした。北京オリンピック開催間近で、オリンピックは中国の近代化の象徴として目の当たりにしました。その頃、一番考えたのは、経済のことより、清朝の末期くらいから中国人が一生懸命努力してきたことは、今までの100年に限らずですが、成功したかどうかに関わらず、非常に近代化しようと、それぞれにやってきたのではないかと思いました。結果的にはごく普通の人々が色々な代償を払ってきたような気がする。特に計画経済から市場経済への過渡期の時、労働者たちが払った代償は色々なものがある。ただ撮り終えてから、寛容な気持ちで過去の歴史を観ることが出来るようになりました。近代化しようと思ったのは、この時期に限らず、この100年の中で、みんなで豊かになろう、幸せになろうと思ってやってきていたと思います。社会主義の実験的な試みとして計画経済を行ってきたが、皮肉なことにそれによって傷ついてしまうのも一般の人々だったということです。

むしろ自分が撮影して気づいたのは、78年くらいからの開放政策の中で、その時はみんなで動くという個が重視されない時代から、一人一人が重視される過渡期でした。恋愛にしてもオープンに語られる時代ではなかった。職場でも誰々と結婚します、という報告を出さなければいけないような時代だった時もあります。それが山口百恵さんの話のように、80年代が来て恋愛をテレビドラマで観られたり、語れたりということができるようになってゆく。この作品の終わりの方に、スー・ナーという若い女の子が登場します。いわゆる現代っ子なので方向の定まらなさは持っていますが、彼女は自由に恋愛を選択できる。段々と自我に目覚め、個人として自分の選択が出来る、そういう30年間の変化もこの中国社会の変化として大切なものだと気づきました。

監督という仕事をする上で、作品の登場人物として労働者が登場してもいいと思う理由は、自分が普段に映画を見る中で、だんだん実生活から離れたようなものばかりになっているという気がするので、立ち返って身近な人たちを撮る作品があってもいいかなと思っています。

今まで中国の生活を描いてきて、その中にある種の普遍性を感じるのですが、今後は中国を離れて、例えば、日本で撮ることを考えたりしますか。
今のところ海外で仕事をする具体的な計画はないのですが、この作品を撮って感じたのは、この10年間は中国の現代を撮っているのですが、よく考えてみるとその結果、現代中国の問題はみんな歴史に根ざしているんだと感じました。過去に遡って何か問題があるのだと思い、より歴史に目が行くようになりました。
それもあって、次の作品として清朝末期の物語や、1949年ごろと言うと、国民党が台湾へと移動して新しい中国が成立した頃の話を撮るということは具体的に考えています。今を語るためには歴史を見ないといけないけど、歴史を語る人が多くないし、まだ語り足りないのではと思っています。実は海外のことでストーリーがないというわけではなくて、東京のストーリーは考えています。今ここでは話すことは出来ませんが(笑)。なぜなら中国の社会の変化があまりにもめまぐるしく、よそ見する暇がなく、ちょっと気を抜いているとすぐ追いつけなくなってしまうからです。なので、まずは目の前にあるものから出来ればと思っています。

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6