OUTSIDE IN TOKYO
JIA ZHANG KE INTERVIEW

ジャ・ジャンクー:オン『四川のうた』

5. 映画のビジュアルと音響コンセプトについて

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映像的な美しさに求めたものは何でしょう。また失われていくものへ魅力、朽ちていくものに感じる魅力は?
ビジュアルで意識した点はふたつあります。ひとつは、(もはや)ほとんど稼働していない工場が移転のために壊されていく過程で、昔は盛んに動いていた痕跡だとか、わりとディテールを追うようにしたことです。空間を撮る時も、かなりゆっくりと動かして見せることを意識しましたね。宿舎も、労働者が住んでいた状況をあまり変えずに、例えば壁が白ければ白いままで撮りました。ふつう、映画などで芝居をする時、あまり白い壁は使わないんです。カメラマンの要求で色を塗ることさえ多い。細かいことですが、特にポートレートのようにしてインタビューを撮った時は、カメラマンは近づき過ぎず、どこか片隅で聞いているような存在を意識してもらいました。そして客観的な感じを出すこと。今回はデジタルで撮りましたが、重い35ミリ・フィルムよりも機敏性があり、これから(急に)展開するという時には便利でした。それに成都はデジタルの色彩にマッチしていたと思います。成都はいつも灰色がかり、直射日光が当たらないイメージですが、そんなグレーっぽさがデジタルと合っていました。そういう意味で、今回はデジタル機材に頼った部分がありますね。
滅びゆくもの、消えてゆくものの、魅力というか、それに惹かれるものは(確かに)ありますね。時間の痕跡が残っているということもあるし、それをカメラに収めていく時、ある意味、別れを告げている気がします。そのあと、そこは無くなるわけですし、そんな時間の経過した空間の痕跡は、とても脆く壊れてしまうもので、別れを惜しむ感覚はあると思います。労働者たちに取材し、多くの人が工場での昔の思い出話をする時、泣く人が多かったんです。でも画面上、みんなが泣いていたら困るので、泣かれない工夫はしましたね。それでも、多かれ少なかれ、かなりの人が泣いてしまった。時間が過ぎたあとで、人が過去を振り返るということは、その時間が絶対に戻らないのを分かっているわけで、それは老いて死んでいくことに繋がるわけです。いくら楽しいことでも、昔のことを思い出すのは、感傷を伴います。それは労働者の人生だけでなく、工場という場所を見ても、出来てから無くなるまで、人の一生とあまり変わらないと思います。
そこで思い出したのが、リン・チャンの歌の中に「君にさようならは、子供もなくさよならだ」という歌詞があり、「君に」が工場を指すのか人間を指すのか分かりませんが、二度と会えないかもしれないけど、君は僕の心の中にいるよ、みたいなことを意味し、私はそれが人生を見てきた言葉だと思いましたね。

女優のジョアン・チェンの場面など、窓を開け放ち、自動車の騒音をわざと大きな音を聞かせていましたが、その音響コンセプトについて教えてください。また、あなたの映画では、いつも魅力的な歌の場面がありますが、歌の役割について聞かせてください。
元々ジョアン・チェンはアメリカに住んでおり、スタジオ撮影の多いハリウッドの仕事に慣れています。だから音がガーガー聞こえてくる中での撮影には、上手く演技できなくなる不安があったため、撮影場所はそれほどうるさくなかったんです。だから音は加えたましたね。それは僕が心の中で、市場の音や車の騒音を足しました。それはこんなに繊細な女性が、こんな粗暴な環境で生きてきたということを出すためです。上海から彼女がその工場に来たコントラストというか、雰囲気を出すための音なのです。でも撮影自体はあまり騒々しいと、特に言葉を使うので、あえて(サウンド)デザインとして後から音を足しましたね。
歌にはふたつ意味があり、中国では特に、日本もそうでしょうが、例えば、『中国哀歌』で男が歌う時、その歌を聞けば何才かが分かる。その時代、その時の時間、その時にはやっていた曲とか、スタンプとも言える曲がある。音楽を使う時はそういう理由もあります。また、今回のように過去の話をする時、労働者と話していると、年代を覚えている人が非常に少ないわけです。でもあの時、山口百恵の歌がはやっていたから何年とか、はやっていた音楽で年代が出てくることが実際にあるのです。

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