OUTSIDE IN TOKYO
SAITO HISASHI & KASE HITOMI INTERVIEW

斎藤久志監督&脚本家加瀬仁美『草の響き』インタヴュー

3. 佐藤泰志の「秀雄もの」、『大きなハードルと小さなハードル』を読んで、
 二人の関係性の参考にはしています(加瀬仁美)

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OIT:原作には“妻”がいないので、ひょっとしたら会話などのディテイルは、佐藤さんの他の小説から持ってきてる部分があるかもしれないと思ったのですが、基本的に脚本の中で書かれていったということでしょうか?
加瀬仁美:夫婦の部分に関しては基本的に全てオリジナルで作っています。ただ佐藤さんの私小説的な連作で「秀雄もの」っていうのがあって、『大きなハードルと小さなハードル』(河出文庫)っていう単行本にもなってるんですけど、あれは読んで何となく二人の関係性の参考にはしています。それと彰の背景として『海炭市叙景』(小学館文庫)の中の一編『一滴のあこがれ』の少年を使っています。それから彰と弘斗と恵美の関係性は、『黄金の服』(小学館文庫)のプールに通う若者3人も参考にしています。
OIT:あの夫婦の関係性とか、友人の“研二”は原作にも登場してましたけど、この三人の感じとかは、映画の中で凄くリアリティが生まれていて素晴らしいなと思ったのですが。
加瀬仁美:原作を読んで一番心を掴まれたのが、研二の存在でした。大事な人が辛い時、私もあんなふうに接してあげられたら良かったなと思うくらい、あの優しさは一体何なんだろうと。研二のモデルは福間健二さんなので、「福間さんに取材する?」と監督に聞かれたのですが、それはあえてしないほうが良いと思ってしませんでした。原作の主人公と研二とのやりとりが実際の佐藤さんと福間さんの間にあったことなのか、それとも佐藤さんが辛かった時ああいうふうに接して欲しかったという願望なのか分かりませんが、とにかく原作のあの研二の優しさに感動して、それを生かすことを主軸に物語を考えていきました。そのためには和雄と研二の絆をどう見せるかが課題で、だからと言って回想や説明台詞は使いたくなくて。そこで彰と弘斗の2人に、かつて高校生だった和雄と研二の姿を重ねて見れるような構造にならないかと考えました。原作では主人公と研二の出会いとして描かれている雨の市民プールのシーンを、映画では彰と弘斗の出会いとして使ったのはそういうことです。あと土手のシーンで「覚えてるか。ここで座ってパン食べてた時、向こうでラジコンの飛行機が旋回してたのを」と言う研二のセリフがあるのですが、緑の島のシーンで彰と弘斗が丸太に座ってコンビニのパンを食べながらラジコン飛行機を見ているのも、わかりにくいとは思いますが狙ってやっています。純子と恵美に関しても、どこか重ねて見れる部分があると思って書いています。
OIT:実は最初に原作を読む前に映画を拝見した時は、若者三人組っていうのが、ひょっとしたら東出さんとかの三人の過去のイメージなのかなと、そういう映画ならではの幻想的な戯れをやっているのかなっていうことを思いながら観ていたんです。人工島の広場のところで素晴らしいシーンがありますね。画面後方で少年少女三人がスケボーをやっていて、画面前方を和雄が走り抜ける、あのシーンが素晴らしくて、映画ならではの幻想的な場面だと思って観ていたんです。
斎藤久志;そう見えますよね。ワンカットで和雄の回想が入ってくるように。実はあれは彰たちのフレームに入ってくるタイミングが和雄の走りにピッタリ合いすぎてどうかと思ったんですが、ラッシュを観て彰たちがまるで合成した走馬灯のように見えるのが面白かったので、編集でそういう狙いにしています。
OIT:Kayaさんが演じた彰がスケボーで降りてくるシーンも凄く良かったんですけど、映画の冒頭、アパートから彰が出て来てスケボーで走るシーン。あそこも良いですね。
斎藤久志:加瀬がネットで見つけたんですけど、ジョン・ホプキンスのミュージックビデオ(https://www.youtube.com/watch?v=Q04ILDXe3QE)があって、それが格好いいんですよ。アメリカの広大な大地を少年がスケボーでずっと走って行くだけなんですけど。プロットが出来る前だったと思うのですが、この映画の共通イメージになるなと、菅原さんにも観てもらったんですね。アメリカン・ニューシネマっていうことの意味合いも含めて。そのイメージを冒頭に持って来たんですよ。ここも和雄の回想に見えますよね。そう見えるのも狙いなんですが、それが混乱すると言う意見もあったりしました。

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