OUTSIDE IN TOKYO
SAITO HISASHI & KASE HITOMI INTERVIEW

『草の響き』は、心に失調をきたした男が、雨の日も、真夏の暑い日も、ひたすら走り続けることで心の平安を得ようとする孤独でストイックな営みを、ヒリヒリとした痛みが滲む繊細な筆致で描いた佐藤泰志の私小説を映画化したものだ。1979年に発表された原作で書かれた、名前を持たない主人公<彼>の、肥えた中年男性への侮蔑的感情、暴走族の若者への秘めたる親近感、『アメリカン・グラフィティ』(1973)やロックンロールへの言及といった、1970年台という時代に刻印された、「”騒ぐ心”を如何にして鎮めるか」(福間健二)を探究したディテイルは省かれ、舞台が八王子から函館に移されているが、その”騒ぐ心”はそのままに、瑞々しい現代的作品に生まれ変わった本作では、原作の<彼>が到達し得なかった、その先にあるかもしれない幸せな日常の可能性を描き出している。しかし、奈緒が演じる妻が映画に齎した幸せの感覚は、最後には失われていく可能性をも同時に示唆されている。”わからないこと”は、わからないまま残り続け、わからなかったり、うまくいかなかったりすることの切なさが、人間存在への愛しさへと昇華する瞬間がこの作品にはある。今年の日本映画における原作物映画化作品としては、濱口竜介の『ドライブ・マイ・カー』(2021)と並ぶ傑作であると思う。

この企画は彼が参加したことで本格的に動き出したという、主人公の和雄を演じる東出昌大、和雄の友人研二を繊細さと表裏一体の朗らかさで演じる大東駿介、和雄の妻を圧倒的な素晴らしい存在感で演じる奈緒、この三人の素晴らしい演技アンサンブルに加えて、若き三人組、彰、弘斗、恵美を演じるKaya、林裕太、三根有葵の儚くも美しい存在感、そして、舞台となった函館の街の土地勘を立体的にイメージさせるように見事に構成された画面構成、日本インディペンデント映画の啓明期から活躍を続けているキャメラマン石井勲と照明を手掛ける大坂章夫の抜群のコンビネーション、そうした全てがこの映画を特別なものにしている。今回は、斎藤久志監督に加えて、奥様であり本作の脚本家でもある加瀬仁美さんにもご同席頂いて、傑作『草の響き』についてお話を伺った。

1. 原作からインスパイアされた映画は、僕の場合は、トニー・リチャードソン
 『長距離ランナーの孤独』と神代辰巳『青春の蹉跌』(斎藤久志)、わたしは、
 グザヴィエ・ドラン『Mommy/マミー』と高橋泉『ある朝スウプは』(加瀬仁美)

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OUTSIDE IN TOKYO(以降OIT):映画を拝見しまして、原作は映画を観る時点では読んでいなかったのですが、映画を観た後に読みました。この映画の企画が函館の映画館(函館シネマアイリス)から持ちかけられたということで、場所が原作の八王子から函館に変わっていたり、妻が登場していたり、もちろん時代も違いますから、設定が色々と変わっていますが、見事な映画に生まれ変わっています。それで今日は、斎藤監督の奥様であり、本作の脚本を手掛けられた加瀬仁美さんにもご同席頂いています。お子さまがまだとても小さいのに(1歳に満たない赤ちゃん)、一緒に来て頂いてありがとうございます。まず最初に監督にお伺いしたいんですが、佐藤泰志さんの小説は、この映画に関わる前に読んでいらっしゃったんですか?
斎藤久志:読んでいませんでした。映画も『そこのみにて光輝く』(2014)を観ていたぐらいです。オファーがあってから『草の響き』を読んで、その後、全作品を読みました。
加瀬仁美:私も読んでいなくて、映画も『海炭市叙景』(2010)を観ていただけでした。お話を頂いてから初めて読んだ佐藤泰志小説が『きみの鳥はうたえる』と『草の響き』で、ああ純文学だなと。面白かったです。
斎藤久志:まずはドキュメンタリー映画『書くことの重さー作家佐藤泰志』(2013)も含めて佐藤泰志映画化作品をふたりで全部観ることから始めました。その上でどんな映画にしようかと、原作からインスパイアされた映画をそれぞれあげました。僕はトニー・リチャードソンの『長距離ランナーの孤独』(62)と神代辰巳の『青春の蹉跌』(74)。
加瀬仁美:私からはグザヴィエ・ドランの『Mommy/マミー』(14)と高橋泉の『ある朝スウプは』(05)。どちらも絶望的に壊れていく関係性を描いているのに、どこか希望を感じる。その希望というのは、例え分かり合えなくても人と人はここまで関われるのだということなのかもしれません。こういうことがしたいと思いました。あと走る男という意味で宮藤官九郎のNHK大河ドラマ『いだてん〜東京オリムピック噺〜』(19)も。全話観終わるまで数ヶ月かかりましたけど(笑)。
斎藤久志:あと菅原(和博)さんからのオーダーにアメリカン・ニューシネマみたいにしたい、というのがあったので精神病院が出てくるアメリカン・ニューシネマ、ミロス・フォアマンの『カッコーの巣の上で』(75)も二人で観ました。
OIT:それはいつぐらいのことですか?
加瀬仁美:2020年の1月です。年明けにプロデューサーの菅原さんから監督にオファーがあったことだけは聞いていて、今回は男の主人公だし自分で書くんだろうと思っていたんです。でも月末の締め切り近くになっても全く書く気配がなくて大丈夫なのかなと心配していたら、急に「いつできる?」って言われて「え?」って。監督本人は脚本を頼んだつもりでいたみたいですが、私は「頼まれてないよ」って。そこでまず一悶着ありました(笑)。
斎藤久志:函館オールロケーション以外は、監督の好きなようにやっていいと、恐ろしいことを言われてました(笑)。いくら低予算と言えども、場合によっては低予算だからこそ、プロデューサーの注文はあるものですが、内容、スタッフ編成に関しては自由にやってくれと。ここまで4本とも評価され続けているこれが菅原マジックなのかもしれませんが。結構考えちゃいますよ。何がやりたいのだろうって。だから自分で書くことも選択肢にはありました。しかし男主人公の話だし、一度客観的に女性の視点を入れた方がいいと思い、頼むことにしました。

『草の響き』

10月8日(金)より順次公開

監督:斎藤久志
脚本:加瀬仁美
撮影:石井勲
原作:佐藤泰志
出演:東出昌大、奈緒、大東駿介、Kaya、林裕太、三根有葵、利重剛、クノ真季子、室井滋

© 2021 HAKODATE CINEMA IRIS

2021年/116分/ビスタ/カラー/5.1ch/日本
配給:コピアポア・フィルム、函館シネマアイリス

『草の響き』
オフィシャルサイト
https://www.kusanohibiki.com
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