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4. ジャームッシュは「それが誰のものであっても、 |
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OIT:あるインタヴューで、自分で編集することを諦めたと話しているのを読んだけど?
GK:いや、そこまでじゃないけど(笑)。僕の処女作『Double Play: James Benning and Richard Linklater』の編集は全て自分でやったんだけど、うまくいったし、楽しかったよ、それで今回も自分でやろうと思った。でも、編集作業にすでに数ヶ月を費やした頃、外の目も必要な気がしてきたんだ。撮影にも立ち会っていない、脚本にも関わっていない、自分より新鮮で客観的な目を持った人の目が。それでパリでジェラルディーヌ・マンジュノという有能な編集者に会った時、コラボレーターを迎えたら映画がもっと強くなる気がした。だから諦めたわけじゃなくて、腕が一本だったのが急に二本になった感じ。僕の尊敬するジョー・ダンテは、「人を入れることを恐れるな。人は君のヴィジョンを変えるわけじゃなく、妥協させるわけでもなく、ただ助けてくれるだけで、その人の才能を持ち込んでくれるだけだ」と言った。そう考えて見ると、編集者というのはいつも編集している。一年を通して。監督は監督をしたり、脚本を書いたり、ジャーナリストと話している時もある(笑)。でも編集者は常に編集のことを考えている。だからそういう人と一度仕事してみようと思ったんだ。結果的に彼女に来てもらったら、素晴らしく、いい感じで進み始めて、一緒にいい時間が過ごせた。だから新しい役者や新しいカメラマンのように、自分のヴィジョンを豊かにしてくれる存在でしかないんだ。
OIT:それは脚本でも同じこと?
GK:そうだね。脚本に行き詰まっている時にラリー・グロスが入ってくれて、それもコラボレーションが好きだという自分の特徴だと思う。一人で作業する監督も多いよね。ジャームッシュは自分で脚本を書き、ポール=トーマス・アンダーソンもクエンティン・タランティーノもそうだ。偉大な映画のマスターと比べるわけじゃないけど、僕は会話を楽しめるタイプだ。自分のアイデアの強度を知るためにも。人ぞれぞれ違うだけさ。
OIT:ラリーとの違いはどうバランスをとりましたか?
GK:彼とはうまくいったよ。全てのコンセプトは僕のものだけど、毎分のディテールが自分の中で見えていたわけじゃなかった。映画がどう進行していくかも。でも彼のような素晴らしい脚本家はそれを綺麗に整理整頓してくれる。このシーンは5分、こっちは6分、ここで何が起きて、階段を移動してからこっちの部屋で何が起きて、こんな話をするとか。そんなディテールで時間軸を埋めていってくれる。物語に必要なアイデアを出してくれたんだ。そうすることでたくさんのクリエイティビティが流れ始める。入口の階段を上らずに裏階段を上らせよう、そうすれば何かが起きるとか、いろんな可能性について考え始める。それが結果的にうまくいって、ラリーから15ページ分の脚本が書き加えられて僕の元に戻ると、映画の完成形にだいぶ近いものになっていた。すごくいいものが詰まっていて、台詞についても話し始めた。それは素晴らしいコラボレーションで、セットにも来てくれたし、どう撮影すべきかアイデアも出してくれた、素晴らしい意見を投入してくれたね。唯一クリエイティブな声を上げなかったのはジャームッシュくらい。彼は僕にやるべきことができるよう、自由な領域を与えてくれたんだ。守護者のような存在だね。
OIT:ジャームッシュは、何から守ってくれたのですか?
GK:遭遇していたかもしれない、あらゆる干渉から。プロデューサーや予算的な問題とか。
OIT:実際にアドバイスは?
GK:人の言うことに耳を傾けるのを恐れないこと。そのアドバイスが誰のものであっても。それが最悪のアドバイスかもしれないし、最良のアドバイスかもしれないけど一度は耳を傾けてみよう。誰がいいアドバイスを持っているか分からないから。撮影助手かもしれないし、製作助手かもしれない。馬が合わない、予算を握っている資金提供者かもしれない。それが誰であろうと、何が起きるか分からないから、疑心暗鬼にならず、彼らがどんなに…。
OIT:いくらイケ好かないやつでも?
GK:(笑)そこまで言うつもりはなかったけど、たとえ彼らがクリエイティブな人間じゃなくても、かな。監督とか、そのレベルで尊敬する人でなくても。例えばプロダクション・マネージャーがすごくいいアドバイスをくれたこともある。たまに抗いたい気持ちになって、自分が監督だと思ってるのか?って思う時もあったけど、ジム(・ジャームッシュ)の助言を思い出してとりあえず聞いてみようと思い直すことができたんだ。
OIT:役立ったんだね。
GK:うん、謙虚に聞く耳を持てたかな。
OIT:何だか禅のような話だね。
GK:そうだね。現場をいい空気にするのも、傲慢さに支配させるのも自分次第。現場のヒエラルキーは上から下というシンプルなもので、監督が上にいて、下にみんながいる。でも寛容な空気を醸し出せば、それか敵意をむき出しにすれば、下のみんなも同じようになる。そして監督はリスペクトを示すべきだと思う。敬意を欠いて監督が傲慢さを押し付けて、独裁者としての自分を浸透させるのは最悪の現場の例にしかならない。つまりマイケル・ベイのような撮影現場だ(笑)。一緒に仕事した人から聞いた限りでは、マイケル・ベイの撮影現場では、基本「俺は全てを分かっている。お前は何も知らない。だから黙ってろ!」ってことらしい。そういう人にはなりたくない(笑)。
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