OUTSIDE IN TOKYO
MIYAZAKI DAISUKE INTERVIEW

宮崎大祐『TOURISM』インタヴュー

4. 前の作品を受けてやっていく方が、自分の中で物語が上積みされていく、
 世界が広く深くなっていくという気がします

1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8



OIT:ご自分の作品は全部繋がっているというようなことも仰られていますね。
宮崎大祐:単発で作品を撮るんですけど、やっぱり前の作品を受けてやっていく方が、自分の中で物語が上積みされていく、世界が広く深くなっていくという気がします。1本目のデビュー作『夜が終わる場所』(12)は故郷を見つけるまでの話なんですけど、『大和(カリフォルニア)』は故郷を見つけたのはいいんだけど、故郷にいるのが耐えられないみたいな話になっている、閉じ込められてしまっているという。それが丁度、美術展の最初の部屋のテーマではあったんですけど、そこから出られないっていうテーマであったものが、今回は故郷から出てどこまででも行けてしまうっていうのがテーマだったりする、そこは微妙に自分の中でちょっと違う次元の話ではあるんです。でもそこがリンクするようにして、毎回ちょっとずつ繋がりがあるようにすると、全部見た時に、ちょっと面白いかなと思ったり。結局、自分の前の作品に対するある種の思想的、あるいは物語的な批判とか反省から、次の作品に取りかかることが多いんですよね。今の自分はこう思うとか、以前はこう思って、ここに違和感があるけど、どうなんだろうっていうところから入ったりするので、今回もそういうところはあります。
OIT:いきなり登場人物が自己紹介するということをやってますが、そういうのは今回たまたまやられたんですか?
宮崎大祐:そうなんですよ、『大和(カリフォルニア)』ではだいぶ崩れてきてると思ったんですけど、割ともうゴリゴリのシネフィリックな原理的な映画作りに愛着があって、愛着っていうかそういうバックボーンを持って育ってきたもので。例えばデプレシャンの『キングス&クイーン』(04)はそういった原理主義を踏まえた上で色々なものを脱構築して、一回崩そうとしてるところが僕は凄く好きで、ああいうのを今の現代的なデジタルデバイスとか、主語がかなり錯乱してるみたいなことを踏まえつつやれないかなっていうのが今回のテーマだったんです。インタヴューシーンは3人が初めて一緒に芝居をする日に撮って、3人のキャラ付けといいますか、演出上こういう方向で行きますよっていうのを決める過程でもあったので、そこが一緒に出来たらなんてことも思ってました。実際にSUMIREさんとか遠藤さんがこういう生活をしてるっていう話を聞きだしながら、じゃあ今回のキャラはこういうことなのでこういう感じでやってみますかというやり取りをして、それ自体が演出の過程でもあったりする。今って舞台裏物とか、フェイクドキュメンタリーは多いですけど、あくまでフィクショナルな物語の中にああいったものを入れるのが自分としてはちょっと面白いかなと思ったりしてやったんです。
OIT:もう今やそういう流れも違和感がないというか、鈴木卓爾監督の様々な試みとかも日本ではありますし、むしろ語りの効率性が良いんじゃないかと思ったりしましたが。
宮崎大祐:そうですね、その辺は、これ以上やっちゃったら安くなるよとか、なんだかなっていうところだけには気を付けながらやりましたね。ズームとか、インタヴューもそうですけど、ある種のユーモアとして捉えていただけるレベルで処理しつつ、新しいことを積み重ねた映画にはしたいとは思いました。
OIT:ズームが揺れてたのは、あれはわざとですか?
宮崎大祐:あれはそんなにズームインできないレンズだったりしたんですけど、なんかキュッといくよりかは80年代的にホン・サンス的なバカっぽい感じでやりたいって(笑)。
OIT:なんか怪しいな、この次何か起きるぞっていう(笑)。
宮崎大祐:「これ大丈夫なんですか?」ってカメラマンには抵抗されたんですけど、「大丈夫、大丈夫、責任は僕がとるから」って。「一応、押さえで他のバージョン撮っておいていいですか?」って言われたんですけど、「いや、ダメです」って(笑)。
←前ページ    1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8    次ページ→