|
3. スチルフィルム、8ミリ、4K、iPhone──異なるメディアが映す身体感覚 |
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 |

清原惟:先ほどお話に出ていた「乳房山」のシーンも私は大好きで、涙が出てきた場面でした。吉開さんのお母さんのことを描いた場面なのですが、同時に、自分自身の母のことも自然と考えていました。私の母は今も元気ですが、昔と比べると変わった部分もあります。そうした時間の流れを重ね合わせながら、自分の母の存在を思い出していました。本当に美しいシーンだったと思います。それで、お聞きしたいことがいくつかあります。
「乳房山」のシーンは8ミリで撮影されていますし、写真もフィルムで撮られていますよね。さらにホームビデオなど、さまざまな映像素材が組み合わされているのが印象的でした。私も今回、おばあちゃんの映画を作るにあたって、昔撮られた8ミリフィルムを使うかどうか、とても悩みました。映像素材によって、そこに刻まれている時間の厚みや、時間そのものの感覚が違うように思えたからです。結局、私は過去の映像は使いませんでした。
吉開さんは新たに撮影した映像だけでなく、さまざまな素材を作品の中で組み合わせています。そもそも、なぜそうした異なるメディアを取り入れようと思われたのか、その理由をうかがいたいです。さらに、それぞれ質感の異なる映像素材を一つの映画として編集していくときに、それぞれのメディアの違いをどのように捉え、どのような感覚で組み合わせていったのか、そのあたりもぜひ。
「乳房山」のシーンは8ミリで撮影されていますし、写真もフィルムで撮られていますよね。さらにホームビデオなど、さまざまな映像素材が組み合わされているのが印象的でした。私も今回、おばあちゃんの映画を作るにあたって、昔撮られた8ミリフィルムを使うかどうか、とても悩みました。映像素材によって、そこに刻まれている時間の厚みや、時間そのものの感覚が違うように思えたからです。結局、私は過去の映像は使いませんでした。
吉開さんは新たに撮影した映像だけでなく、さまざまな素材を作品の中で組み合わせています。そもそも、なぜそうした異なるメディアを取り入れようと思われたのか、その理由をうかがいたいです。さらに、それぞれ質感の異なる映像素材を一つの映画として編集していくときに、それぞれのメディアの違いをどのように捉え、どのような感覚で組み合わせていったのか、そのあたりもぜひ。
吉開菜央:そうですね。もともと躁状態だった頃は、いろいろなストレスを抱えていて、強迫観念のようなものもたくさんありました。その一つに、「なくなってしまいそうなものをわたしが残しておきたい」という強い思いがあったんです。フィルムもそうでした。35ミリフィルムも含めて、いずれ近い将来なくなってしまうメディアなのではないかと思っていて、それでヨドバシとかに行って、フィルムをひそかに大量に買い込んでいました。
清原惟:めっちゃ高いですよね。
吉開菜央:あの時はもうちょっと安かったから、ギリギリ安いタイミングで爆買いできたんだな、と今になって思います。
『まさゆめ』© WHITE LEOTARDS
清原惟:今は本当にヤバいですよね。
吉開菜央:今ヤバいですね。当時は、とにかく見境なく撮っていました。紙切れでも、少し傷んだものでも、「残しておきたい」と思ったものは何でも撮る。ワンロールを5分くらいで撮り切ってしまうような勢いで、毎日のようにシャッターを切っていました。ただ、後になってその写真を見返してみると、「なぜこれを撮ったのか」を不思議なくらい覚えているんです。もちろん、「どうしてこんなものを撮ったんだろう」と可笑しく思う写真もあります。でも同時に、一枚一枚が本当にきれいだとも感じました。
だから、この写真を何らかの形で映画に使いたいと思ったんです。自分の個人的な体験を語るときに、この写真を作品に取り入れることで、使わなければただのゴミになってしまうネガを成仏させたいという気持ちがありました。どこで使うのがいいか考えていた頃、禅寺で修行者の方々と話す時間がありました。禅寺では、修行者同士が積極的に対話し、自分自身を見つめるための時間が設けられているんです。その時間に写真を重ねてみたらどうだろう、と考えました。
そうやって構成を考えていくうちに、35ミリの静止画という、通常の映像とは異なる時間感覚を持つメディアを入れるのであれば、8ミリフィルムも取り入れたいと思うようになりました。ちょうどその少し前に、小田香さんと16ミリフィルムで『アンダーグラウンド』(2024)を撮っていた経験もあって、「フィルムによる動画も、いずれ失われてしまうメディアかもしれない。今のうちにやっておきたい」という思いが芽生えたんです。
そうして一つひとつ素材を組み合わせていって、「ここにはこれを使おう」「あそこにはあれを入れよう」と考えているうちに、ホームビデオも使いたいと思うようになり、さらに最後には海のシーンでiPhoneで撮影した映像も加わりました。結果として、それぞれ異なる時間や質感を持つ映像素材が、一つの作品の中に自然と集まっていったという感じです。
だから、この写真を何らかの形で映画に使いたいと思ったんです。自分の個人的な体験を語るときに、この写真を作品に取り入れることで、使わなければただのゴミになってしまうネガを成仏させたいという気持ちがありました。どこで使うのがいいか考えていた頃、禅寺で修行者の方々と話す時間がありました。禅寺では、修行者同士が積極的に対話し、自分自身を見つめるための時間が設けられているんです。その時間に写真を重ねてみたらどうだろう、と考えました。
そうやって構成を考えていくうちに、35ミリの静止画という、通常の映像とは異なる時間感覚を持つメディアを入れるのであれば、8ミリフィルムも取り入れたいと思うようになりました。ちょうどその少し前に、小田香さんと16ミリフィルムで『アンダーグラウンド』(2024)を撮っていた経験もあって、「フィルムによる動画も、いずれ失われてしまうメディアかもしれない。今のうちにやっておきたい」という思いが芽生えたんです。
そうして一つひとつ素材を組み合わせていって、「ここにはこれを使おう」「あそこにはあれを入れよう」と考えているうちに、ホームビデオも使いたいと思うようになり、さらに最後には海のシーンでiPhoneで撮影した映像も加わりました。結果として、それぞれ異なる時間や質感を持つ映像素材が、一つの作品の中に自然と集まっていったという感じです。
清原惟:そうか、(海中シーンは)iPhoneで撮ったんですね。
吉開菜央:そうなんです。iPhoneで撮りました。
清原惟:じゃあどんどんやっていくうちに、また次のメディアがっていう感じだったんですね。
吉開菜央:そうです。ただ、制作を続けていくうちに、自分の中でフィルムの意味が少しずつ変わっていったんですよね。冒頭の高速で写真を見せていくシーンは、ネガティブなエネルギーが強く蓄積されたものだったと思います。だけど、毎日の朝ごはんを撮り続けた写真は、同じフィルムなんだけど、まったく逆のポジティブなエネルギーが宿ってました。自分の中では、その対比や反転がとても面白かったですね。
一枚一枚の朝ごはんの静止画が連続して繋がることで、映画になる。そのプロセスは、自分自身を少しずつ健康な方向へ導いてくれるようでもありましたし、励ましてもくれました。写真を撮るたびに響く「カシャ、カシャ、カシャ」というリズムが、そのまま自分の身体を動かして、前へ進めてくれるような感覚があったんです。制作を続けること自体が、自分を少しずつ前へ促してくれていたように思います。
一枚一枚の朝ごはんの静止画が連続して繋がることで、映画になる。そのプロセスは、自分自身を少しずつ健康な方向へ導いてくれるようでもありましたし、励ましてもくれました。写真を撮るたびに響く「カシャ、カシャ、カシャ」というリズムが、そのまま自分の身体を動かして、前へ進めてくれるような感覚があったんです。制作を続けること自体が、自分を少しずつ前へ促してくれていたように思います。
清原惟:朝ごはんの写真は、ほとんど定点で撮られていますよね。それに対して冒頭の写真のシーンは、すごく吉開さん自身の視点を感じました。作品の中で「吉開さんが撮った写真です」と説明されているわけではないのに、「これは吉開さんが見ていた風景で、吉開さん自身が撮ったものなんだ」ということが、とても強く伝わってきたんです。私はネガティブなものとしては見てなかったんですけど。
ご飯の方の写真は逆に定点で大体同じ位置で撮ってるからこそ、だれかの視点という感じがあまりしなかったんです。もう少し客観的な視点というか、 ちょっと距離が離れていくみたいな感覚の違いを感じました。
ご飯の方の写真は逆に定点で大体同じ位置で撮ってるからこそ、だれかの視点という感じがあまりしなかったんです。もう少し客観的な視点というか、 ちょっと距離が離れていくみたいな感覚の違いを感じました。
吉開菜央:へー。でも、あれは毎日撮ってたのに、なんでピントが合わないんだろうって思ってました。ピントが合ったり合わなかったりして。毎日やってたのに(笑)
清原惟:でもそれが逆に「時間」を感じさせますよね。ちょっとした揺れというか、全くの定点ではなくて、固定された三脚ってわけじゃない、日々の揺れみたいな感じが自然と表れているような気がします。

| ←前ページ 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 次ページ→ | |
