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6. 「朗読を聞く人」、「朗読」が生起する豊かな映画的時空間 |
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吉開菜央:そうなんですね(笑)いや、私、音読することは自分でも好きだし、人が音読してるのを聞くのも好きだけど、ただ音読してるだけだから、映画になるのかなとか思っちゃうんだけど、清原さんが撮るとすごい映画になってて驚かされます。撮り方がやっぱり美しいんでしょうね。構成もそうだし。私は最近、『シャリ』(2021)ぐらいから人のインタビュー音声を映画に取り入れるようになったんですけど、やっぱりその瞬間に生まれる声って、その瞬間にしか生まれないから、インタビューで取りたいなって思っちゃうんです。
吉開菜央:今回、清原さんはまず、おばあさんにインタビューをされたんですよね。
清原惟:そうですね。
吉開菜央:それを文字起こしして、清原さんが編集されたってことだったんですかね。
清原惟:私が一回文字に起こしして短くまとめたものをおばあちゃんとやりとりして、もうちょっとこの話を入れてほしいとか、ここは出したくないから消してほしい、っていう感じのやりとりを往復していく中で、それぞれのテキストを作ったっていう感じです。
吉開菜央:そのやりとりも映画になって。「ここはこういうことで合ってる? 」って、一つひとつ確認していくやり取りがありましたよね。なんか映画の脚本を作ってるみたいだった。本人の話を聞きながら、それを脚本にしていく。 脚本ってこうやって作るのかなって、そのプロセス自体が、とても興味深かった。フィクションの脚本家も、本当はこういうふうに登場人物と対話しながら書いているのかなって。もちろん実際に相手がいるわけではないけれど、目の前に生きている誰かと向き合いながら物語を紡いでいくような感覚があって、とても面白かったです。
吉開菜央:でもそれをおばあちゃんに読ませるんじゃなくて、違う人に読ませる面白さもあった。そうすると何が素晴らしいかっていうと、おばあちゃんが読むと、やっぱりおばあちゃんの手癖で読んじゃう、それはそれで素晴らしいと思うんですけど、やっぱり訓練された俳優さんの声で読まれることで、すごく聞き取りやすいものになっている。すごくナラティブなボイスになってるんですよね。直接本人の話を聞いてるのではない、一段階層が上がるって。それがとても映画的な、ナレーションのような声に聞こえてくるのかなと思った。
もしインタビュー音声をそのまま使っていたら、聞き取りにくい部分もあったでしょうし、言葉の意味よりも話し方に意識が向いちゃうこともあったかもしれない。 でもこの作品では、俳優の声を介することで、言葉そのものが映画の言葉としてスーと身体に入ってきた。その感覚がとても新鮮でした。「インタビュー」を映画の中で表現するにしても、こういう表現の仕方があって、こういう表現の仕方をしたら、こういう受け取り方を私はするんだっていう発見もありました。
もしインタビュー音声をそのまま使っていたら、聞き取りにくい部分もあったでしょうし、言葉の意味よりも話し方に意識が向いちゃうこともあったかもしれない。 でもこの作品では、俳優の声を介することで、言葉そのものが映画の言葉としてスーと身体に入ってきた。その感覚がとても新鮮でした。「インタビュー」を映画の中で表現するにしても、こういう表現の仕方があって、こういう表現の仕方をしたら、こういう受け取り方を私はするんだっていう発見もありました。
『A Window of Memories』©Yui Kiyohara
清原惟:嬉しい。読んでくださった二人(小山薫子、坂藤加菜)の力がすごくあるなと思ってます。私も「朗読」っていうものがどういう映画になるのか、やったことがなかったので、実際に撮影してみないとわからないっていう状況でした。その場でどういう風に撮っていくかっていうことを、みんなで考えながら作っていたんですよね。だから、私がすべて演出してるとかじゃなくて、実際にあの二人が頭から終わりまで時間をかけて読んでいくっていうことが、ある種のドキュメントとして映されている感覚がありました。あの二人がそこにいてくれたことの信頼感、そしてそれぞれが文字に書かれてることを読み砕いて、体に入れて、それを読んでいくっていうことを誠実にやってくれていたことが、伝わる言葉になっているのかなっていう感じがして。
吉開菜央:なぜあの場所で、なぜあの二人なのか、なぜ往復しながら読むのか、その辺はどういうふうに考えたんですか?
清原惟:二人が交互に行き来する構成は、最初から決めてました。テキストは、一つひとつのエピソードがまとまりとして構成されていて、それを交互に読んでもらう形にしています。でも、二人がただ語っているだけじゃなくて、やっぱり聞いてる時間っていうのもあるなと思って。実際に聞いていたんですよね、相手がテキストを読んでいる時に。その言葉に耳を澄ましていることが結構重要な気がしていて。それも撮影しながら、自分でも気づいた部分ではあったんですけど。ここで耳を澄ませている時間も取りたいなと思って、そういう風に交互にやりとりする構成になっていきました。
吉開菜央:相手がいるってことですね。
清原惟:そうそう、そういう感じでした。
吉開菜央:確かに言われてみると、聞いている人を私も見ていると、私も今一緒に聞いてるなっていう感覚が映画を見ていてありましたね。あと、なんであの場所にしたんですか?
清原惟:場所は何でもない場所って言ったら変ですけど、特定の誰かの生活がある場所ではないけど、でもどこか話している内容と少しだけ関わりがあるような場所がいいなと思って探していたんです。何もない会議室か、誰かの家の中間のどこだかわからないけど、かすかに生活の気配がある感じ。それで思いついたのがあの場所なんです。あそこは元々普通のアパートだったんですけど、アトリエ付きシェアハウスに改修されて、その共用部分で、色々なことをみんなができるスペースとして、それこそ本当に目的が定まってないスペースみたいな感じで使われている場所なんです。
『A Window of Memories』©Yui Kiyohara
吉開菜央:へー、なるほど。なんかね、ぽっかり穴が開いちゃった家みたいな。
清原惟:あ、そう、そこはね、なるべく映さないようにしてたんですけど(笑)、やっぱその変な形のところも気になってきますね。
吉開菜央:それはすごい面白い。また一個ちょっと違うレイヤーの場所が。
清原惟:そうですね。確かに。
OIT:ちょっと建築的な画面というか、画面を横切る斜線が入ってたり、その場所の構造を利用して撮影しているようにも見えたのですが、撮影は清原さんがされたのですか?
清原惟:朗読のシーンは、撮影の寺西涼さんが猫みたいに自由に動き回りながら撮ってくれていました。私と俳優さんで、「どのくらいの距離で立つか」「座るか」「どういう身体の状態で朗読するか」といったことは、その場で相談しながら決めていました。カメラワークは、ほとんど事前には決めず、実際に撮影が始まると、その場の流れに応じて自由に動いてもらうことが多かったです。
OIT:じゃあ、カメラ位置は清原さんはあまり決めてない。
清原惟:そうですね。ここはこうしてもいいかもとか、アイデアを出したりしてるシーンもあるんですけど、基本は撮影の人が考えてくれました。わたしは“聞いていた”って感じです。「朗読を聞く人」みたいな。

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