OUTSIDE IN TOKYO
KALTRINA KRASNIQI INTERVIEW

吉開菜央&清原惟 真夏の渋谷対談
〜『まさゆめ』と『A Window of Memories』をめぐって〜

5. ふたりの祖母の記憶が、家父長制社会を生きてきた日本女性の群像を召喚する
 『A Window of Memories』

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『A Window of Memories』©Yui Kiyohara
OIT:吉開さん、素晴らしいお話しを、ありがとうございました。それでは次に、清原さんの『A Window of Memories』についてお話しをきかせてください。

試写で作品を拝見して、とても強く印象に残ったことがあります。67分という短い上映時間の中に、お二人の祖母の人生、そして、戦後80年に及ぶ日本の女性たちが歩んだ時間の積み重ねや記憶が凝縮されています。それだけでも十分豊かな体験なのですが、この作品では、その上にレイヤーが幾重にも重なっていく。まず、お祖母様の記憶と人生があります。そこに朗読を担当されたお二人の俳優の声が重なる。しかし、そこに映っているのは単なる「声」ではなく、その俳優お二人が歩んできた人生までもが滲み出ている。そこに、観客一人ひとりの記憶や経験が重なっていく。

そうした幾層ものレイヤーが映画の中で立ち上がっていくことで、とても豊かな映画体験が生まれている作品だと思いました。ちょうど今上映されているホセ・ルイス・ゲリン監督の『よき谷の物語』を想起させるものもある。もちろん映画の内容は異なりますが、観客の記憶や想像力を喚起しながら世界が広がっていく感覚に、どこか通じるものを感じたのです。先ほど、構成については3人で話し合いながら作っていったとおっしゃっていましたが、その思考の積み重ねが作品全体に表れているように思います。舞台となる家の扱い方もとても印象的でした。

そこでお聞きしたいのですが、今回の企画のテーマは「身体」でしたよね。吉開さんの『まさゆめ』は、そのテーマが非常にストレートに作品へ結びついていますが、清原さんは、この作品をどのような意味で「身体」というテーマと結びつけていったのでしょうか。
清原惟:そうですね。「身体」ってテーマを実はずっと忘れてて(笑)。
OIT:ですよね。
清原惟:誰かに言われて。あ、そういうテーマあったなってことを久しぶりに思い出したぐらいの感じなんです。
OIT:そうですね。
『A Window of Memories』©Yui Kiyohara
清原惟:「身体」というテーマをいただくよりも前から、おばあちゃんの話を聞いて記録として残しておきたいという思いがずっとあったんです。それが映画になるかどうかは別として、とにかく話を聞き残しておきたいという気持ちがありました。そんな中で、この企画のお話をいただき、「身体」をテーマにと言われたときに、自然とおばあちゃんたちのことが結びつきました。

それは、おばあちゃん自身の身体や、身体に刻まれた記憶のことだったり、先ほど「家」の話にも触れていただきましたが、最初は「家」と「おばあちゃんの身体」の関係を軸に作品を作りたいと思っていたところがあって。おばあちゃんは高齢なので、コロナ禍もあって家で過ごす時間がとても長くなっていました。

昔から家のことや家事は、全部おばあちゃんたちが切り盛りしていたということもあって、家と身体がとても密接につながっていると感じてたんです。包丁の使い方一つを見てもからだに馴染んでる、家そのものと身体からだがとても親密な関係にあるように思った時に、おばあちゃんたちの生活や記憶を扱いたいなと思ったという感じです。
OIT:「家」って、英語で言う“ホーム”っていう言葉の語感からすると、帰る場所であるとか、温かさであるとか、っていうのが一般的なイメージとしてあると思いますが、この『A Window of Memories』で想起される「家」はもっと複雑なものだという感じがしますね。
清原惟:建物としての家とか家族みたいなものから、やっぱり家制度とか家父長制とかまでつながってるかなと思います。おばあちゃんたちの話は、本人たちはそう思ってないけど、家父長制の話に直結してくる話がすごく多くて、フェミニズム的な観点からもすごく自分は興味深いなと思って話を聞いてました。


OIT:年齢は離れてますけど、映画作家と撮られる被写体の方の間にシスターフッドがあるという印象を受けたんですよね。作品の中で拾い上げられているエピソードには、とても印象的なものがいくつもあるのですが、それらは、あえて言えばフェミニズム的な視点から読み解くことができる内容でもあります。それは、フランスの1960〜70年代のフェミニズム運動や、昨今の新しいフェミニズムの流れにあるMeToo運動といった社会的な文脈とはほとんど無関係であるかのように、この日本の戦後80年を生きてきた女性たちの経験の積み重ねが、ごく自然なかたちで映し出されているように感じました。

例えば、作品の中で、おばあ様が「本当は私がこの工場を切り盛りしていた」というお話をされる場面がありましたよね。ああしたエピソードは、このご家族だけの特別な話ではなく、日本各地に同じような経験をした女性たちがたくさんいたのではないかと想像させられます。だからこそ、観客もそこに自分自身や自分の家族の記憶を重ね合わせて連帯することができる、そういう感じがしましたね。
吉開菜央:娘が生まれて、この家ではじめて味方ができたような気がした、とか。
OIT:そうですね。そうそう。吉開さん、どうぞ続けてください。
吉開菜央:はい。まず、映画としての構成の素晴らしさはもちろんあると思うんですけど、Xにも書いたんですけど、この作品には私が好きなものがたくさん詰まっていて、それらをじっくり愛でる時間を過ごせたという印象が強くありました。私も人と家はとても密接につながっていると思っていて、家は人のからだの延長線上にある連続した存在で、生きている家は生きているからだの一部のようなものだなって。 台所には、おばあちゃんが使いやすいように道具が配置されていて、その空間自体がからだの一部になってるように見える。だから、人の家の台所を見るのが昔からすごく好きなんですけど、この作品では、そうした台所の様子が丁寧に映し出されていて、とても印象に残りました。

特に忘れられないのが、おばあちゃんがリンゴを切る場面です。ヘタを切り落としたあと、実のきれいな部分はお皿に盛って人に出し、自分はヘタのまわりのまだ食べられる部分を食べてたんですよね。私はこのシーンに80年の重みを感じたんですよね。何て言うんだろう、食べ物を粗末にしないっていう知恵だけじゃなくて、この人はこういうことを大事にしてずっと生きてきた。だから、それがカメラが回ってても自然に出るんだって思って、すごい、うっうって胸に込み上げるものがありしました。

それからもう一つ、私は文章を声に出して音読するという行為そのものがとても好きなんです。今回の作品では、その「朗読」を本当に素晴らしい形で取り入れらっしゃった。あの「朗読」を映画の中心的な表現として成立させていて、すごい勇気があるなと思って。だって、言ってみれば、人が文章を読んでるだけじゃないですか(笑)
清原惟:実はそれはドキドキでした(笑)


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