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4. 「からだ4K」、そして、自らの身体を映画のための「媒介」とすること |
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『まさゆめ』© WHITE LEOTARDS
吉開菜央:そうですね。いろいろなメディアを使ったことで、それぞれ異なる時間の感覚や質感を表現できたのかもしれない。禅寺でのシーンは、すべて4Kのデジタルで撮影してるんです。それが、当時の自分の感覚にいちばん近いと思えたから。4Kの解像度だと、すべてのものが細部までパキッと見えて、音もすごく鮮明に聞こえるような感覚があって。禅の修行を続けていると、実際に身体の感覚がどんどん研ぎ澄まされていくから、見るものも、聞こえるものも、以前よりずっと鮮明になっていく。身体がデトックスされて、感覚全体がピーンってなってくる。
清原惟:そうなんだ。4Kになっちゃうんだ。
吉開菜央:そう、からだ4K(笑)。
清原惟:私は2Kぐらいですね。まだ古い機種で(笑)。
吉開菜央:俗世は情報量が多すぎるので、2Kくらいで十分なんです(笑)。4Kや8Kだと、身体がその情報量に圧倒されるような感覚があります。そう考えると、修行のシーンはデジタルで撮るのが自然だと思いました。その状態には、4Kの質感がすごく合ってましたね。でも、下山して俗世に戻ると、さまざまな情報に包まれる生活が始まります。家に帰ってからも、朝ごはんを味噌汁にしたりして修行は続けていましたが、それでもどこか現実が夢のように感じられて、一枚フィルターがかかったような感覚があった。そういう意味では、俗世の場面をフィルムや8ミリで撮ったのは良かったのかなって、後付けですけど、そう思います。
清原惟:なるほど、めっちゃ面白い。でも最後のiPhoneで撮った映像は、すごい高精細で見えた。すごく細かくいろんなものが見えてくる感じがあったのが不思議でした。きっとiPhoneだから、いいカメラで撮るよりも、ザラザラしてるはずなんだろうけど。なんだろう、気泡とか光の粒とかなのかな。自分自身が、色々な映像を通り抜けた後だから、最後にそう見えたのかも。
『まさゆめ』© WHITE LEOTARDS
吉開菜央:結構荒々しかった。
清原惟:えー、そうか。荒々しかったんだあ。あと、もうひとつ聞きたいことがあって、吉開さんはご自身が映画に映られてるのが、すごいなって思って。私の場合は、映画に自分自身が出るってことがほぼない。
吉開菜央:今回はちょっと出られてましたね。
清原惟:ちょっとだけ出たけど、あれはもうおばあちゃんの手前、出ないとなみたいな、必要に駆られて出たみたいな感じです。自分の映画に自分が出るっていうことを思いつかないっていうか、考えたりしないんですけど、吉開さんは自分の映画にも出てるし、小田さんの映画とかにも出ていて、被写体として、出演者としてすごく魅力的な存在だと思っています。
『まさゆめ』を観ていて印象的だったのは、吉開さんだからこそ目を離せないという感覚はあるのですが、それ以上に、ご自身が映画のための「媒介」のような存在になっているように感じたんです。ご自身の身体を通して、何か別のものを映し出しているような感覚というか……。そんな印象を受けました。
私は自分の映画に出演した経験がほとんどないので、ご自身の作品に出るということが、吉開さんにとってどんな感覚なのか、とても興味があります。それから、完成した作品を見返したとき、ご自身が映っている姿をどのように受け止めているのか、そのあたりのお話もぜひ伺ってみたいです。
『まさゆめ』を観ていて印象的だったのは、吉開さんだからこそ目を離せないという感覚はあるのですが、それ以上に、ご自身が映画のための「媒介」のような存在になっているように感じたんです。ご自身の身体を通して、何か別のものを映し出しているような感覚というか……。そんな印象を受けました。
私は自分の映画に出演した経験がほとんどないので、ご自身の作品に出るということが、吉開さんにとってどんな感覚なのか、とても興味があります。それから、完成した作品を見返したとき、ご自身が映っている姿をどのように受け止めているのか、そのあたりのお話もぜひ伺ってみたいです。
吉開菜央:自分が映っている姿を見ても、実はあまり気にならないんです。初期の作品から自分で出演していて、『自転車乗りの少女』(2014)という、YouTubeにも公開している自転車映画があるんですけど、その頃から自分で演じていました。あれはまあ自分が出るのが一番安いから出たんですけど、結構何も気にならなくて。
清原惟:そうなんだ。
吉開菜央:なんかもうそれはそれとして素材として見れる。こっちが主みたいな。
清原惟:ちょっとじゃあ他者じゃないけど、そういう感覚なんですね。
吉開菜央:はい。結構厳しく見れます。

清原惟:すごい。
吉開菜央:むしろ小田さんの映画に出てる私の方が、もうこれダメだーみたいな。
清原惟:あ、そうなんだ(笑)
吉開菜央:はい。 小田さんには小田さんの思惑があって撮ってらっしゃるので、そこは私には完全には理解できないことがあるから、え、これ、大丈夫ですか、ドキドキドキみたいな(笑)。もうラッシュとか見ると、これで私は仕事を全う出来ている感じでしょうか?みたいになります。でも、自分の作品で自分を撮る場合は、自分自身を一つの素材として見られるんです。だから、編集でも比較的冷静に、「これは使う」「これは切る」って判断することができます。自分が作品に出演したり、自分自身について語ったりすることも、実は以前から少しずつ続けてきたので、それほど抵抗はないです。
パーソナルなことを映画にして「勇気あるね」って言っていただくことも多いんですけど、自分の中では、何か大きなハードルを乗り越えているという感覚はないです。むしろ、こういうことを必要以上に話し渋るのは、どうなんだろうって。もちろん、プライベートなことを何でもかんでも人前で話したいわけではないんですけど、必要なことは自然に話せるようでありたいし、その延長として、自分が映画の中にいることも、ごく自然なこととして受け止められるようでいたいっていう感覚です。もちろん、作っているとキツいこともありますけど、それも含めて、自分にとっては自然な表現のあり方かなって思ってます。
パーソナルなことを映画にして「勇気あるね」って言っていただくことも多いんですけど、自分の中では、何か大きなハードルを乗り越えているという感覚はないです。むしろ、こういうことを必要以上に話し渋るのは、どうなんだろうって。もちろん、プライベートなことを何でもかんでも人前で話したいわけではないんですけど、必要なことは自然に話せるようでありたいし、その延長として、自分が映画の中にいることも、ごく自然なこととして受け止められるようでいたいっていう感覚です。もちろん、作っているとキツいこともありますけど、それも含めて、自分にとっては自然な表現のあり方かなって思ってます。
清原惟:なるほど。
吉開菜央:でも「媒介者」っていうのは、初めて言われた。
清原惟:本当ですか?
吉開菜央:うん。確かに修行してる姿ばっかり映ってたからかな。すごいニュートラルになるから。ただの肉になってたので、基本。
清原惟:そういうことなのか。
吉開菜央:うん。
OIT:ところで、修行はまだ続けてるんですか?
吉開菜央:修行は、日々できる時にできることを続けてますね。
OIT:座禅とか。
吉開菜央:座禅は実は一回もやってないんです。お寺ではあんなにやらされたのに全然家ではやってなくて。でも、声を出して読む読経とか太極拳をやってます。朝、散歩して太極拳をする。それと、ご飯、味噌汁をなるべく食べるようにするっていうのを続けてます。
『まさゆめ』© WHITE LEOTARDS
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