OUTSIDE IN TOKYO
MIYAKE SHO INTERVIEW

三宅唱『きみの鳥はうたえる』インタヴュー

3. 石橋さんは一人でいる時と、隣に佑がいる時、将太がいる時、
 あるいは三人でいる時でどれも顔が違うように僕には見えて、
 ドキドキしました

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OIT:具体的なシーンでいうと、<僕>が約束をすっぽかした翌日、朝か昼にカフェで佐知子と会って、横に並んで話すシーンで、<僕>が何かをこぼしてしまう、そうすると、佐知子が男の人って、、、(笑)っていう感じの、面白い目つきで<僕>を見ますよね、ああいう場面はどうやって作ったのかなって思ったんです。
三宅唱:怒っていい状況のはずなのに「怒っていない」と言うことだとか、誠実じゃないねと言いながら興味を持つことだとか、佐知子のこの行動によって動き出します。これはこの物語全体の「本当のはじまり」のような場面だと考えていました。だから、映画の中ではその時間を丸ごと捉えることが必要で、省略できないなと。変化していくような時間、それを見つめたいと考えていました。

OIT:何回かやってああいうシーンになったんですか?
三宅唱:あれは脚本通りだし、小説通りだと思っています。一体なぜ佐知子は「食べる?」って言ったのか。その理由は小説に書かれていないけれど、その行動をつぶさに捉えることで、何かわかるかもしれない。佐知子が<僕>をどんな顔でどんな風に見つめているのか、それを映画で捉えることで、佐知子の行動の謎が解けると思いました。

OIT:なんか観察してるような感じですよね。
三宅唱:そうですね、この場面以外のシーンでも相手をちゃんと見ることが軸になっていたかなと思います。

OIT:やがて二人が三人になって、<僕>と静男が一緒に住んでる部屋に佐知子が来た時、佐知子と静雄とやり取りを<僕>がすごく見てるんですよね(笑)。
三宅唱:はい、まさしくそうですね。

OIT:あの視線には複雑な心理状態も含まれているんでしょうかね。
三宅唱:どうなんでしょうか、ちょっと答えづらいですが、観察してる人間、何か周りを見ようとしてる人間が中心に映っていて、それをみる映画なので、映っている人と見ている人が同じ状況になっているはずです。

OIT:アルベルト・セラが来日した時にインタヴューをしたのですが、その時に、僕は人間が考えている表情を撮るのが好きだ、それは非常に美しいことだと思うっていうことを言っていて、ちょっとそのことを想い出しました。考えている、見ている、観察する、この映画もそういう映画だなと思ったんです。
三宅唱:そうですね。小説の台詞でも“誠実”という言葉が語られているように、相手にどう向き合うかということが、この小説のテーマの一つだろうと考えていました。そして、それは芝居においても重要なことだと僕は思います。物語のテーマと、お芝居そのものの本質が結びついていました。撮っていて、三人とも本当に素晴らしい役者だなと改めて思ったのですが、その素晴らしさを敢えて言葉にするならば、相手と共にいることでどんどん変わっていくような、そういう役者たちでした。一人でいても、周りの空気や物音にちゃんと反応して、役を生きているような。例えば、石橋さんは一人でいる時と、隣に佑がいる時、将太がいる時、あるいは三人でいる時でどれも顔が違うように僕には見えて、ドキドキしました。そういう変化にカメラとともに立ち会えるという経験は、とてもスリリングで、喜びを感じました。それはお客さんにも伝わるところかなと思います。


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